故郷山梨で、ベトナムに恩返しがしたい!/Star Lotus 佐藤栄一
- 2026/02/10
- 日系企業インタビュー
コロナによって人生が変わった、という人は大勢います。今回のインタビュイー、佐藤栄一さんもその1人です。27年間のベトナム生活。一時帰国のつもりが、突然の“本帰国”、人生の“強制リセット”でした。仕事や勉強などのため、今はベトナムで暮らしていても、ほとんどの日本人はいずれ帰国します。「本帰国後も何らかしらベトナムで繋がっていきたい!」と考えている方のために、今回は佐藤さんの本帰国後に始めた日本での活動や、ベトナムへの思いを中心にお話を伺いました。
1.突然始まった日本での“強制リセット”生活
土佐谷:まずは、27年生活されたベトナムを離れ、日本に帰られたのはどういった経緯なのでしょうか?
佐藤: 私が日本に帰ったのは、コロナが始まったものの、まだ日本とベトナムの行き来ができている頃でした。通常の1週間〜10日くらいの一時帰国のつもりでした。帰る直前、今後日本で外国人の入国が規制されるかも、という話が出てきました。一旦、日本に帰ったら、外に出られないかも知れない、との不安もありましたが、ちょうど人間ドック後の再検査を受ける予定だったこともあり、落ち着くまでしばらく日本に滞在しよう、という軽い気持ちで帰国しました。そうしたら、ベトナムに戻れない状況になってしまって。戻る方法はあったのですが、50万円かかるとか、長期の隔離があるとか、現実的ではありませんでした。もちろん、戻る気満々でしたので部屋も借りたまま、その後、このまま日本にいると決めるまでの1年半、ずっと家賃を払い続けていました。今は戻れないけど、いつか戻るんだ、という気持ちでいたんです。自分のお店もありましたしね。
土佐谷:27年ぶりに日本で生活をしてみて、いかがでしたか。
佐藤:まずは、空気がきれい。特に山梨は自然豊かで、生まれ育った故郷の素晴らしさを痛感しました。それと静かすぎる。ベトナムでは、クラクション、人の声、常に音に囲まれて生活していましたので、最初は慣れませんでした。それと道路での進行方向は日本と逆なので、運転していて戸惑うこともありました。

日本に本帰国した頃。

勝沼ぶどうの丘から甲府盆地を望む。大好きな山梨の風景。
土佐谷:佐藤さんが日本にいる間、お店はどうされていたのですか?
佐藤:それまで日本にいたビジネスパートナーが「佐藤さんがしばらく日本にいるなら、ちょっと店を見るよ」と言って、代わりにベトナムに来ました。コロナで2人の拠点が、逆転したんです。そこで2人の人生が変わってしまった。
土佐谷: ベトナムに戻れず、本帰国を決めるまでの1年半、佐藤さんは日本でどう過ごされていたのですか?
佐藤: 帰国したタイミングで人間ドックの再検査に行ったんです。そうしたら、病気が見つかって。入院を含め、3ヶ月くらい療養することになりました。
土佐谷: それは、ある意味ラッキーでしたね。
佐藤: ええ、あそこでそのままベトナムに帰っていたら、病気に気付かずに手遅れになっていたかもしれません。日本に帰ってくることは、運命だったんですね、きっと。
治療も落ち着いて、まずは実家のぶどう農園を手伝いました。当時、親父は83歳。お袋が亡くなってからも、一人暮らしをしながら農業をやっていました。それと、ベトナムにいた時に、実習生の送り出し期間のお手伝いや山梨県人会の会長をやっていた縁もあって、ベトナムから来た技能実習生の身の回りのお手伝いもしていました。一時帰国をする前、関わっていた子たちが入国制限ギリギリのタイミングで日本に来たんです。そんなことをやっていたら、今度は、実習生の受け入れをする監理団体から、ベトナム語の通訳をやってくれないか、と依頼がありました。通訳の他にも、具合が悪い子を病院に連れて行ったり、生活サポートのようなこともやっていましたね。だから、日本に戻ってきてからも、結構忙しかったですよ。最初は受け入れ人数も少なかったのですが、3年の技能実習期間が終わり、その後、特定技能実習生として残る子がいたり、コロナが終わり、日本に来る子たちも増えてきました。
ベトナム人の子たちを支援するタイミングで、シクロスター・ジャパンという個人事業主の会社を起こしました。日本での立場を作ろうと思ったんです。ベトナムでは「スターロータスの佐藤」で、わかってもらえたのですが、日本で「スターロータスの佐藤です」と言っても、「スターロータス?ベトナムの会社?」と、わかってもらえないんです。日本にいたら、日本に基盤を作らないとダメなんだな、と感じました。
それが転じて、2023年には外国人サポートに特化した株式会社を作りました。その頃、日本では技能実習生問題が騒がれていました。そんな状況を見て、法外なお金をかけずに日本に来ることができて、きちんとした会社で働ける、そしてその子たちをトータルにサポートする仕組みを作りたいという思いを持った人が何人かいて、一緒に会社を立ち上げることになりました。実際は、他のメンバーは忙しく、今は一人株式で運営しています。現在は、外国人サポート事業の「ボンズプラス」と宝石関連事業の「シクロスター・ジャパン」という2つの会社を経営しています。

ぶどう畑でお父様と。

シクロスター・ジャパンの活動。
2.「ベトナムの佐藤です」〜ベトナム駐在27年
土佐谷: 大学時代、台湾へ語学留学をされ、その頃から海外で働くことに興味をお持ちだったとか。
佐藤:はい。僕の叔父は東京に出て宝石商をしていたのですが、1987年にベトナムでスタールビーが発掘され、一大ブームになりました。1993年にはベトナム政府がドイモイ政策のひとつとして、スタールビーを国の産業にすると発表し、外国企業にも門戸を広げていました。そのような時代背景の中、叔父の会社を含む日系企業社と、ベトナムの国営企業と一緒に合弁会社VIJAGEMS(ビジャジェムズ)を設立し、鉱山の発掘に乗り出しました。鉱山開発は思いの外難しく、その後タイにあった叔父の会社の工場をベトナムに移転し、宝石加工事業に専念しました。
土佐谷:その会社で、佐藤さんはどんなことをされていたのですか?
佐藤:僕の立場は、ジェネラルマネジメント。自社の宝石加工職人を育てるために、16歳くらいの若い子たちが宿舎に寝泊まりさせていたのですが、7年間衣食住を共にしながら、身の回りのサポートをしていました。2、3年経って、やっと商品が作れるようになり、政府機関や駐在員の奥様方に工場見学に来てもらい、ショールームで宝石の展示販売をしたり、「○○に日本人の集まる会がある」と聞きつけると、そこにお伺いして、オーダー品や修理の相談など“御用聞き”のようなこともしていました。古い方だと「スターロータスの佐藤」より「ビジャジェムズの佐藤」の方が馴染みがあると思います。その時の経験がとても良かったと感じています。1990年代のベトナムの日本人コミュニティーは密でしたね。
土佐谷:今よりも日本人が少ない時代ですし、不便なこともたくさんあったと多います。ここで生きていくために、みんなで団結しなきゃ、という意識が今以上にあったのかもしれませんね。
佐藤:そう。僕は新卒ですぐにベトナムに来たでしょ。社会人経験ゼロの宝石商。相手はセレブな奥様方で、自分がいる世界とは別の世界の人ばかり。「宝石商なんだから、バイクで営業に来ちゃダメ!」「2日連続で会うなら、ネクタイは別なものにしなさい!」と、本来、入社して先輩社員に教わるようなことをお客さんから教わりました。そうは言われても、当時はお金がなかったので、お伺いするお宅の近くまでバイクで行って、あたかもタクシーに乗って来たような顔で、お宅まで歩いて行ったこともありました(笑)。

赴任したばかりの頃、ルビー鉱山へ向かう途中で。

1993年赴任当時のハノイ様子(ドンスアン市場)。
土佐谷:今では、ベトナム語が堪能な佐藤さんですが、当時、言葉がわからない中、16歳の子たちと生活を共にするのは、ご苦労も多かったのではないでしょうか?
佐藤:僕自身も若かったので、逆にそれが良かったんだと思います。ベトナムに来た時、僕は24歳。彼らは職人、僕は営業ですが、同僚みたいな関係でした。その時できた信頼関係がその後の人生にも影響しています。
土佐谷:一緒に働いていた“同僚”たちは、今はどうされていますか?
佐藤:違う世界に行った子もいますが、合弁が解消された後、ベトナムの国営企業がそのまま事業を引き継いだのですが、今でもその会社で働いている子もいます。中には自分のお店や工場を持って、従業員を雇うまでになった子も。あと、これは本当に偶然なのですが、山梨の甲府は宝石加工業が盛んなのですが、近年、職人不足に悩まされています。日本人の職人がいなくなり、韓国人の職人が入ってきたのですが、そのうち韓国人もいなくなり、今、職人として来ているのがベトナム人なんですね。甲府の加工職人の中には、かつて一緒に働いていた子たちも数名いますよ。
土佐谷:それは運命としか言えませんね。一度離れて再び縁で結ばれる、それも日本で。当時は全く予想もしていなかったことですよね。

ベトナム人の同僚との宿舎生活。前列左から3番目が佐藤さん。

日本で、ベトナム人同僚との再会を祝う。
土佐谷:2012年、一時帰国中に大怪我をされたことが、「スターロータスの佐藤さん」となるターニングポイントだったとか。
佐藤:はい。合弁を解消し、自分たちで新会社、スターロータスを立ち上げました。
土佐谷:今では、宝石とお土産物屋のイメージですが、最初からその形態だったのですか?
佐藤:そこがすごく葛藤したところでして。最初は宝石屋一本でやる計画でした。でも蓋を開けてみたら、それだけじゃお客さんに来てもらえなかった。
土佐谷:宝石は、毎日買うものではないですしね。
佐藤:そんな中、ビジャジェムズ時代から贔屓(ひいき)にして頂き、すでに日本に本帰国されたかつてのお客さんから、「佐藤さん、あれ買って来てよ」とか「一時帰国する時のお土産は、これをお願いね」とか、言われて。だったら、それをお店に置けば、お土産買う目的でお店に来てもらえるんじゃないかと考えました。
土佐谷:お客さんと一緒にお店を作っていった感じですね。

スターロータスの開店当時。

土佐谷:佐藤さんはベトナム滞在中から、故郷の山梨とベトナムをつなぐ活動にも精力的だったようですね。
佐藤:山梨県知事が、トップセールスでベトナムに来る、という噂を聞きつけました。せっかく山梨県人会があるので、何かお手伝いができないかと、こちらからアプローチしました。その後、これまでの功績も評価頂き、”やまなし大使”に任命して頂きました。
土佐谷:やまなし大使に選ばれて、気持ちの変化はありましたか?
佐藤:民間レベルですが、「山梨の代表になれた!」っていう気持ちになりました。もちろん、任命前も同じような気持ちはありました。頼まれもしないのに、ベトナム人に山梨の魅力―自然、観光、食べ物、お酒などーを伝えたりね(笑)。人に対しても同じです。山梨に行くのであれば、絶対に悪い目に遭わせないというか、絶対守りますよ、という気持ちが強くなりました。
土佐谷: お話を伺っていて、佐藤さんの場合、ベトナムにいる頃から、“日本人”というよりも“山梨県人”という思いが強かったのかな、と感じるのですが、ご本人としてはいかがですか?
佐藤:まず「生まれ育った山梨が1番!」から始まって、プラス日本になるんです。
留学していた台湾は、中国との関係など政治的な問題を抱えている国でした。留学時代に言われたことがあるんです。「お前は日本人。お前の祖先が俺たちにやったことに対してどう思っているんだ。」と。「僕は日本人として、何と答えたらいいんだろう。」「『昔の話だから僕は知らない!』と言っていいのか?」「この人たちとどうやって付き合っていけばいいんだろう。」という、心の格闘がありました。そういった経験から、海外では、僕らは“民間の外交官”なんだ、と思うようになりました。

台湾留学時代。クラスメートと。前列右から2番目が佐藤さん。

ハノイでの、やまなし大使任命式。
土佐谷:佐藤さんは「迷った時は、ときめく方を選ぶ」という言葉を大切にしているそうですね。
佐藤:僕自身の経験もそうだし、僕にいろいろ教えてくれた女性経営者が、そう言っていたんです。 例え失敗したとしても、それは悔いが残らないから、と。
土佐谷:実際にときめいた方を選択したエピソードはありますか?
佐藤:スターロータス始めた時もそうです。それまで宝石屋だから宝石しかわからない、という固定観念がありました。でも、お客さんに「あの雑貨も欲しい」と言われ、「わかりました、探してきます」と二つ返事でやるのが好きでした。ある日、ときめいたんです。「じゃあ、2つ一緒にやろう」みたいな。
土佐谷:その結果、今では、宝石、お土産の両方で、認知されるお店になりましたよね。
佐藤:そうですね。自分がほしいものを提案してくれたり、お店がイケていないと、「スターロータス改造計画」なんていう企画書を持ってきて下さるお客さんがいたり(笑)。ありがたいことでした。
土佐谷:佐藤さんがベトナムでやり残した、と思っていることはありますか?
佐藤:もっと強いネットワークを築いておけば良かったということでしょうか。本帰国してしまうと、自分からコンタクトを取らない限り、疎遠になってしまう傾向にあります。今から再度、連絡を取ることもできますが、できればそのまま縁を継続できる方が良かったですね。
3.故郷、山梨とベトナムへの思い
土佐谷: 帰国後、生まれ故郷の山梨への思いとベトナムは、どのように繋がったのでしょうか?
佐藤:山梨には、松下政経塾で松下幸之助が塾長を務めていた時代の最後の塾頭であった上甲晃(じょうこう あきら)先生が初代塾長である“夢甲斐塾”というものがあって、ちょうど帰国したタイミングで誘って頂きました。行ってみたら、そこは「志ある人間を育て、地域と社会に役立つ生き方を実践する」という考えのもとに活動している塾で、僕自身も感化されました。
土佐谷:何名ぐらい参加されていたんですか?
佐藤:2000年の時からスタートして、これまでここで学んだ塾生は470名ほどいます。元々は県の事業で、当時の県知事が「これからの世代、山梨のリーダーを育てていかなきゃいけない」という目的で発足しました。その後知事が代わり、県からのバックアップが切れてしまったんです。そこで上甲先生が「あとは自分の手弁当でやるから」と言われ、塾は存続しました。
土佐谷:そこで学んだことは、どんなことに生かされているのですか?
佐藤:年に1回、夢甲斐フェスタというイベントを、出発した塾生が持ち回りで企画するんです。今年は、僕がいた21期生が担当でした。資金も自分たちで集めました。その山梨の知らないものを知って、それを未来に繋げていこうと、甲府城のツアーや講演会、マルシェやお神輿体験など、盛りだくさんの催しを用意し、同志塾生の協力の下、多くの方にご来場頂きました。

夢甲斐フェスタ2025の様子。

土佐谷:本帰国して、簡単にベトナム人と繋がれる場と言ったら、イベントに参加するとか、ベトナム食材を売るお店に行く、ベトナムレストランに行ってみる、ことでしょうか。
佐藤:そうですね。たまたまそこで知り合った子が、自分の家の近くで働いているとか、家が近いとか、そんな感じで繋がっていくのではないでしょうか。僕はコンビニでバイトをしている子で、“グエン”という名前をみたらすぐに声をかけて、ベトナム語で喋ったりしてね。昔は驚いてくれたけど、最近は驚いてくれないなぁ(笑)。今、日本にいる若いベトナム人の子たちも感覚が変わってきています。昔ほど泥臭くないというか、ドライになりました。
土佐谷:日本でご自分からグイグイ、ベトナム人に近づけるというのはある意味羨ましいです。長くベトナムにいたからこそできる技かもしれませんね(笑)。最後に佐藤さんにとって、ベトナムとは?
佐藤:切っても切れない、「ベトナムの佐藤」を育ててくれた場所ですね。僕が初めてベトナムに行ったのは1990年代で、ベトナム人には本当にお世話になったし、色々助けてもらいました。今度は僕が恩返しをする番だと思っています。すでに形になってきているものもあれば、これからスタートしたいと思っていることもあります。日本で作った外国人サポートの会社の事業として、インバウンド向けに山梨観光と自分の趣味を生かしたサイクルガイド、ベトナム文化を発信し、山梨に住むベトナム人にも楽しんでもらえるバインミー出張販売、それと実家のブドウ農園とベトナム人労働者をつなぐ就労サポートが、今考えていることです。
土佐谷:これまでお世話になったベトナムに、生まれ育った故郷で恩返しをする。そういう人生、素敵ですね。私にもできるでしょうか?今のうちから考えておかないといけませんね。
佐藤:きっと誰にでもできますよ。

日本に住むベトナム人実習生との交流。

Bons Plusの活動(イベントでのバインミー販売)。
文=土佐谷 由美

<プロフィール>
佐藤 栄一(Sato Eiichi)
1968年/山梨県出身
Star Lotus(宝飾・雑貨販売)共同経営者
Bons Plus 代表取締役
シクロスター・ジャパン 代表
やまなし大使
ハノイ山梨県人会 会長
大学時代に台湾へ語学留学。また中国、香港、タイなどバックパッカーとしてアジア各国を旅行。
1993年親戚の企業のベトナム進出を機に渡越。合弁会社の設立や宝石加工工場の立ち上げに携わる。
2012年STAR LOTUSを設立。この頃から宝飾のほか、雑貨の販売も始める。2017年ハノイ山梨県人会発足。2020年の一時帰国中、コロナのためベトナムに戻ることができず、2021年より拠点を生まれ故郷山梨へ。現在は年に数回、ベトナムとの往復をしながら、日本で宝石販売事業とベトナム駐在27年の経験を活かし、山梨に住むベトナム人のサポートを行なっている。
趣味:サイクリング
→子供のころに隣町まで自転車初めて行った時のあの達成感が忘れられません。自然の風や匂いを直に感じながら、自分の足で漕ぐだけで、どこにでも行ける自転車に乗ることに夢中になっています。自転車に乗るたびに新しい発見から刺激を受けています。
◆佐藤栄一
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