ベトナム観光旅行記:第4回「ホーチミン市」

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ホーチミン市人民委員会

〜フランス植民地時代の建築、3つのホテルで味わうホーチミン市の旅

 ホーチミン市。ベトナムを独立へと導いた指導者の名前を冠した街です。元の名称はサイゴンでしたが、1976年名称が変更となりました。アメリカでは初代大統領・ワシントンの名が首都名、ワシントンDCとなっていますが、ベトナムの首都はホーチミン市ではなく、ハノイです。

 ホーチミン市の人口は約900万人。人口にしてベトナム最大の都市でもあります。年間を通じて温暖で、冬でも20度をくだることはまれです。乾季の3、4月が年間で最も暑い時期ですが、どんなに高温でも40度を超えることは滅多にありません。雨季がはじまれば、雨の後の夜は30度以下になることもあり、エアコンなしでも過ごすことが可能な日もあります。ガイドブックによっては雨季の観光を敬遠するように勧めるむきもありますが、雨季の雨は1日のうち1〜2時間程度降る通り雨です。雨があがるとシャワーを浴びたあとのような爽快さがあり、雨宿りをいとわなければ観光にも快適です。

 今回のウェブ誌上観光のご案内は、このホーチミン市です。テーマは「ホテル」。いずれもベトナムがフランス植民地時代に建てられた3つのホテルをご紹介し、市内歴史観光にご案内いたします。

現存するホーチミン市最古のホテル、コンチネンタル・サイゴン

コンチネンタル・ホテル:レストラン脇のオープンエアカフェ
コンチネンタル・ホテル:レストラン脇のオープンエアカフェ

 ドンコイ通り沿いにあり、オペラハウスの斜め向かいにある白亜のホテル、コンチネンタル・サイゴン。1880年、今から141年前に建設されたホーチミン市で現存する最古のホテルです。テレビ東京「美の巨人たち」でも紹介されました。

 19世紀末、ベトナムはラオス、カンボジアと共にフランスの植民地でした。フランスの建設資材業者であったピエール・カゾーが1878年に建設を開始、1880年には「ホテル・コンチネンタル」としてオープンしました。フランスからサイゴンまでの長旅の疲れを癒すために建てられた欧風のホテルでした。この時期を前後して、サイゴン・ノートルダム大教会(1880年)、サイゴン中央郵便局(1886年)なども建てられました。サイゴンの街に欧風の近代建築が立ち並びはじめた時代でもあります。

 その後、フランス貴族の手に渡るなどオーナーが変わり、1930年にはコルシカのマフィア、マシュー・フランチーニがコンチネンタル・ホテルを手に入れます。彼はインドシナのアヘンをフランスや米国へと売りさばくフレンチ・コネクションにも関わる人物としてその名を知られていました。また当時の大金持ちで、ミトの「督府」であったレー・ヴァン・マウの娘と結婚し、ベトナム社会にも顔のきく人物でした。

 今やベトナムの国民食の「フォー」ですが、北部ベトナムの料理だったものを南部に最初で紹介したのは、マシュー・フランチーニだったと言われています。ハノイでフォーを食べてその旨さに感動し、フランチーニがコンチネンタル・ホテルのレストランのメニューに加えたのがその最初だったとか。1954年のことです。当初、フォーそのものは南部ベトナム人の口に合わず、全く売れなかったとホテルの従業員たちは伝えています。

 ベトナム戦争当時、ホテルの正面にあるオペラハウスが南ベトナム政府の国会議事堂であったこともあり、コンチネンタル・ホテルには外国の報道機関が事務所を構えていました。ホテルのレストランは当時の通りの名称から「ラジオ・カティナ」と呼ばれていました。外国人記者たちが集まって情報を交換する場所だったのです。

コンチネンタル・ホテル:中庭(パティオ)
コンチネンタル・ホテル:中庭(パティオ)

 「第三の男」「おとなしいアメリカ人」の小説で知られるグレアム・グリーンも外国人記者の一人としてこのコンチネンタル・ホテルを定宿とし、214号室に長期滞在していました。2002年公開の映画「愛の落日(原題:The Quiet American)」は彼がサイゴン滞在中に書き上げた原作をもとに制作されました。映画でもホテルがこのロケに用いられました。

 ホテルの建材には遮熱のため厚めのレンガを使用し、壁を白く塗り、部屋の天井も4メートルと高く、扇風機もエアコンもない時代に熱帯の気候を快適に過ごすための工夫が凝らされています。特徴的なのはホテルの600平米もある大きな中庭(パティオ)。この中庭にある3本のプルメリアの木は1880年創業当時に植えられたもの。中庭いっぱいに枝を伸ばし、花を咲かせ、パーティや結婚披露宴に集う人たちの目を楽しませてくれます。

 同ホテルは1976年に一旦閉鎖され、その後ベトナム国営船会社が外国人船員用ホテルとしましたが、1986年に国営サイゴンツーリストの所有となって改装され、再び「コンチネンタル・ホテル」の名前で営業を再開し、今に至ります。

仏印進駐時には「日本ホテル」、小説家・開高健が定宿としたマジェスティックホテル

マジェスティック・ホテル:ダブルルーム

 ドンコイ通り1番地にマジェスティックホテルはあります。ドンコイ通りとサイゴン側に面し、屋上のレストランからサイゴンの川の流れを臨むことができます。このレストランに泊まっての朝食は天気が良ければオープンエアの部分でとることをお勧めします。サイゴン川の川風に吹かれながらとる朝食は最高のぜいたくです。

 このホテルは福建省出身の華商にして当時大金持ちであった、フイ・ボン・ホアの一族が1925年に建設したホテルです。フイ・ボン・ホアは19世紀半ばにサイゴンに渡り、不動産業で成功しました。現在のホーチミン市博物館、ツーズー病院なども彼の一族の手になるものです。サイゴン市内3万戸の貸家経営もしていたと言われています。中国で56歳で急死するなど、謎の多い人物です。

 1940年、日本軍は南部フランス領インドシナへ進駐します。マジェスティックホテルは接収され、日本軍の将校たちの専用宿舎となり、名称も「日本ホテル」に変更されました。南京事件の扇動者とされ、沖縄戦では無謀な攻勢作戦の結果、民間人の犠牲を増やしたとされる悪名高い長勇(ちょういさむ)中将。彼もこの「日本ホテル」に宿泊し、隣接した映画館で映画「ダニューヴの漣波(さざなみ)」をみたと八原博通「沖縄決戦」という本に記されています。沖縄戦で敗色濃くなると長は自決しますが、自決に際して「サイゴンで見た映画『ダニューブ』の眺めと音楽を思い出すな」と八原に語ったそうです。アメリカとの戦いに敗れ、自決を前に思い出したのがロマンティックなアメリカ映画であったというのがなんとも皮肉です。

 ベトナム戦争時代。作家の開高健が朝日新聞特派員としてサイゴンに駐在した際に定宿としたのも、このマジェスティックでした。彼は南ベトナム政府軍に従軍し、ルポルタージュ「ベトナム戦記」や、その従軍体験をもとに小説「輝ける闇」などを発表しました。彼の宿泊した103号室には彼の名の入ったプレートが掲げられています。

 ツイハーク監督の香港映画「男たちの挽歌3:アゲイン/明日への誓い」(1989年公開)では1988年のベトナムでロケが敢行されています。主人公役のチョウ・ユンファ、レオン・カーウェイが宿泊するホテルもマジェスティック。映画のシーンの中でも当時の名称、キューロン(九龍)ホテルとして登場します。ラストでは本物の戦車が市街地を走るシーンまであります。ドイモイ政策で改革開放政策がとられた直後とはいえ、今では考えられないロケシーンにびっくりします。ちなみにツイハークはサイゴンのチョロン出身の華人でした。1960年代には両親と共に香港に移り住みます。

 コロニアルスタイルで、クラシックな趣のホテル・マジェスティック。自分が映画のワンシーンの中にいるような気分にさせてくれるホテルでもあります。

アメリカ海外広報局(USIS)に貸し出されたレックスホテル

レックス・ホテル:グエン・フエ通りからのぞむ
レックス・ホテル:グエン・フエ通りからのぞむ

 ホーチミン市人民委員会の斜め向かい、ホーチミン像の脇にたつレックスホテル。同ホテルの前身は1927年に建てられた仏シトロエンの自動車ディーラーの店舗でした。この場所をベトナム最後の王朝・グエン朝バオダイ帝の叔父にあたるウンティ夫妻が買収し、映画館とホテルが併設されたレックス・コンプレックス(複合施設)に改修しました。

 ベトナム戦争当時には合衆国海外広報局(USIS)に貸し出され、米軍将校や戦争ジャーナリストたちで賑わいました。ホテルの屋上ガーデンバーで毎日行われた米軍によるプレス発表会は”Five O’Clock Follies”、すなわち「午後5時の馬鹿げた行為」であると皮肉られました。泥沼化したベトナム戦争をあたかも米軍が勝利しつつあるかのように描きだしたからです。当時の米軍の戦況報告は日本でいう「大本営発表」だったのです。この屋上ガーデンバーは宿泊客以外の客も入場できますので、訪れてみてはいかがでしょうか。

レックス・ホテル:屋上ガーデンバー

 1975年以降、同ホテルは国営旅行会社・サイゴンツーリストの所有となり、「ベンタンホテル」と名称が変わりました。1986年には「レックスホテル」の名称と王冠のロゴが復活し、2003年には増築と改修が行われ、286室あるホテルとなっています。高級ブランドショップが立ち並ぶショッピングアーケードも備えています。

 私が以前勤めていた貿易会社のオフィスも2006年までレックスホテル内に設けられ、週末には小さな屋上プールで泳ぐのが楽しみの一つでした。1990年代前半には、サイゴン解放後はじめてとなる日本料理店「日本橋」がレ・ロイ通りに面したホテルの1階にあり、当時は日本料理が珍しく、よく通ったものです。

 せっかくのサイゴン、ホーチミン市の旅です。便利な最新のシティホテルではなく、こうしたフランス植民地時代からの歴史をまとった旧いホテルに宿泊し、旅情と歴史を味わう旅はいかがでしょうか。

文=新妻東一

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