原始林の中を高速で駆け抜けるリバークルーズ、日本留学「東遊運動」の志士ファン・ボイ・チャウ記念館、ビン市の「六稜郭」?/ゲアン

 日本の読者にとってゲアンという省はほとんど馴染みのない場所だろうと思います。お手元にスマホがあったらグーグルマップで「ゲアン」と入力してみてください。ベトナムの北中部、ハノイから省都のビンまで車で5、6時間の距離にあります。ハノイ・ノイバイ空港から飛行機も飛んでいます。1時間弱のフライトです。
 ベトナムの大都市圏からのアクセスの悪さと観光開発がこれまで進んでこなかった場所だったので、あまり知られることがありませんでした。
 ゲアン省は今後観光開発が進むことが予想され、外国人観光客にとっても身近な場所になる可能性を秘めています。そこで今回、ベトナムでもあまり知られていないゲアン省の観光地をご紹介しましょう。

プーマット(Pu Mat)国立公園とファーライ(Pha Lai)リバークルーズ

ベトナムには国立公園は34ヶ所あります。その一つがゲアン省のプーマット国立公園です。ゲアン省西部、ラオス国境と接しています。植物は160の科に属する2500種、動物では1000種近くが確認されています。人の手がはいっていない原始林が広がり、この地域に暮らす人々はタイ、モン、ダンライといった少数民族の人々です。
 プーマット国立公園はウシ科の希少動物「サオラ」の生息域として知られています。サオラは1992年、ベトナムの研究者と世界自然保護基金(WWF)の研究者の共同の調査で発見されました。絶滅危惧種として認定され、2013年にはクアンナム省の国立公園にあるトラップカメラで、その姿がとらえられ、話題になりました。
 日本の角をもつシカのような姿のサオラは今年ベトナムで開催された第31回東南アジア協議大会のマスコットにもなりました。
 このプーマット国立公園にはザン川という川が流れています。ファーライという場所から船外機付きのモーターボートに乗って、川を遡上するクルーズに参加することができます。ファーライを出発し、1時間30分かけてダンライ族の住む村まで川を上流に向かって進みます。うっそうとした原始林に囲まれた川からの眺めはまるで探検隊の一員にでもなった気分。リアルな「ジャングルクルーズ」といったところでしょうか。
 モーターボートの体感時速は30〜40km程度、比較的川幅の狭い場所を抜けるときはスリルも味わえます。
 上陸してダンライ族の村を訪ねます。ダンライ族はもともと身体を横たえて寝る習慣はなく、常に座ったまま眠るそうです。身体は木の枝を杖にして、それを頬のあたりで支えとして眠ります。猛獣や敵が襲いかかるのにいち早く対処するためだったとされています。村を訪ねるとかつての姿をダンライ村の古老がやってみせてくれます。少数民族の生活ぶりも垣間見ることができます。
 遡上した川をくだり、もときた船着場に到着。船着場には高床式の木造のレストランが建っています。ここはやはりこの地域に住むタイ族の料理を提供するレストランです。このレストランの料理がおいしいのです。鶏肉の揚げ物や豚肉を煮込んだもの、それに紫色に着色されたおこわが彩を添えてくれます。タイ族のつくる蒸留酒と一緒にいただくと絶品です。
 ただこのファーライのボートクルーズに参加するにあたっては、ラオス国境地帯であるため、地元の公安と国境警備隊に外国人の訪問登録を行う必要があります。このボートクルーズに外国人として参加するにはビン市発のツアーを利用しましょう。
 まさに人跡未到の秘境の旅気分が味わうことができるでしょう。

ファンボイチャウ記念館とホーチミンの生家

 ゲアン省は歴史的にも南北のデルタ地域に比べて肥沃な土地がなく、農業といってもこれといった特産品もなく、貧困をよぎなくされる地域ですが、そのかわり科挙制度の時代には多くの科挙合格者を輩出し、ベトナム全土で4番目に合格者が多かったといいます。歴史的に学問をよくする人が多く、同時に政治の指導者や経済のリーダーとなる人たちが多く生まれている土地柄でもあります。ゲアン省はいわば日本の山口県、長州のような場所です。
 なかでもビン市から車で1時間ほどのところにあるナムダン県は20世紀初頭、日本に留学生を送り込み「東遊運動」を起こしたベトナムの独立を目指した思想家、ファン・ボイ・チャウと、ベトナム独立を指導したホー・チ・ミンという二人の生まれ故郷でもあります。
 このナムダン県には、ファン・ボイ・チャウの生家が復元され、記念館も2018年に新たに建設されました。訪れてみると、彼の生家は本当に小さく粗末な家に生まれたのだなあという感想をいだきます。
 こんな片田舎に生まれたチャウがフランスからの独立を構想し、日本に学んで立憲君主国としてベトナムを独立させる、そのためにまずは人材を育成するために留学生を日本に送り込みました。しかし列強諸国との協調を重視する当時の日本はフランスの要請を受けて、留学生たちを追放し、チャウらも中国に革命の拠点を移します。
 小田原に病院をもっていた医師・浅羽佐喜太郎はチャウら留学生たちを私費で支援します。その恩を忘れず、日本に再入国したチャウは故・浅羽の記念碑を静岡県袋井市・常林寺に建立します。日本とベトナムの外交樹立40周年には日越合作のテレビドラマ「パートナー」として二人の友情が描かれました。
 ホー・チ・ミンの生家もナムダン県にあります。ホー・チ・ミンの生家を訪ねると、まず驚くのは駐車場の広々していること。シーズンともなれば観光客がどっと押し寄せるのだということがわかります。ただ生家は多少大きいと思いながらも、作りはいたって簡素なもの。ホー・チ・ミンの父親は家は貧しくも儒学をおさめていましたので、ホー・チ・ミンは父から論語なども学んだといいます。ベトナムの建国の父、ホー・チ・ミンが幼いころ、どのような環境で育ったのかを知り、ベトナム国民から慕われているのを知るのもよいでしょう。

ビンの「六稜郭」?稜堡式城郭

 日本の函館に五稜郭という、幕末につくられた城塞があります。実はそれに似た城塞が、ここビン市にもあります。ただし雪の結晶のような六角形をしています。「五稜郭」ならぬ「六稜郭」ですね。
 このビン市の城郭は、19世紀初頭に成立した阮朝時代に建てられました。阮朝の創始、グエン・アインはフランス人宣教師アドラン司教ピニョー・ド・ベーヌ支援を受けてベトナムを統一しました。フランス人司教は多くのフランス軍人をベトナムに迎え、軍事技術を伝えました。フランスのヴォーバンによる稜堡式城郭、またの名を星形要塞と呼ばれる築城術もそのころベトナムに伝わりました。阮朝はそれにもとづいてベトナム全土に稜堡式城郭をいくつも築きました。
 このヴォーバンによる稜堡式城郭は、城を守るにあたって、敵に襲われても死角が生まれないように、稜堡とよばれる突起部分をつくり、守りを堅固にすることにありました。そのため、上空からみると星のような形をしているところから、星形要塞との名称がつきました。欧州各国にはこの星形要塞が多数築かれています。しかしヨーロッパ以外の場所にこれだけ多数の稜堡式城郭が築かれた国はベトナムをおいて他にありません。
 その一つがゲアン省ビン市に築かれたのは1831年ミンマン帝の時代でした。それまであった土造の城塞にかわり、石造の堅固な要塞を築きました。ただし、現在のこされているのは3つの城門と堀のみです。近年城門も堀も復元、整備されています。夜になると城門はライトアップされ、若い人たちのスマホ写真を撮影するチェックインポイントの一つにもなっています。
 残念ながら五稜郭のように上空から城郭を見下ろすタワーは存在していませんので、その六角形の形を肉眼で確かめることはできません。ただGoogleマップではその形を確認することができますので、城郭見学の際にはぜひGoogleマップを見ながら観光ください。

文=新妻東一

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更新 : 2022/07/26
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