永遠の少年たちへ、「男の子向け」ベトナムの旅行先ご紹介

 ベトナム旅行といえば、ヘルシーで野菜たっぷりなベトナム料理や、刺しゅう小物やバッグのショッピング、アオザイをまとって写真撮影、スパでフェイスマッサージを受けて癒されるなど、女性向けの楽しみはいっぱい詰まっているものの、昭和なオジサンたちにとってのベトナムは、昼間はゴルフに出かけ、打ち上げでビールを飲み、夜はカラオケに繰り出す、みたいな旅になりがちです。

 そこで今回は、永遠の少年たる男たちに贈る、大人の「男の子向け」旅行先のご紹介をいたしましょう。

1、ベトナム・スペシャルティー・コーヒー・ファーム体験

 ベトナムはブラジルに次ぐ世界第2位のコーヒー生産国である、と言っても多くの方は誰も信じないでしょう。フランス人がコーヒーをインドシナ半島に持ち込んだものの、植民地時代には大きく成功させることはできませんでした。ベトナムでコーヒー生産が本格的にはじまったのは1980年代に入ってからでした。

 日本人が通常口にする、ブレンドやモカ、キリマンジャロなどのブランド・コーヒーは、ほとんどがアラビカ種と言って、800メートル以上の海抜がある熱帯高地に適した品種で、病気にも弱いとあって生産が難しい品種なのです。

 しかしベトナムで生産が拡大したのはロブスター種と言って、アラビカ種より品質は劣るものの、病気にも強く、また800メートル以下の土地でも育てやすい品種でした。

 この品種は20世紀初頭に「発見」され、アラビカ種でのコーヒー生産で失敗したフランス人農園主がベトナムに持ち込んだものでした。それがベトナム戦争後、ベトナム政府の貧困対策の一つとして、ロブスター種のコーヒーの生産が奨励され、ベトナムの有数な輸出商品にまで発展しました。

 ただし、ロブスター種単独ではアラビカ種に風味で劣るため、単独では用いられず、ブレンドコーヒーやインスタントコーヒー、缶コーヒーの生産に使用されるのが精一杯でした。

 ベトナム・コーヒーといっても、その歴史の浅さと、主に生産されている品種がロブスター種であることから、世界第2位の生産量を誇りつつ、世界的には無名だったのです。

 それでもアラビカ種の生産にこだわる生産農家もあります。中部高原ダラットのコーヒー農園とカフェを経営するグエン・ヴァン・ソンの「ソン・パカラマ」もそうした農園の一つです。

 彼は元々バイク部品のディーラーでした。ダラットの農園を求め、趣味で農園をはじめました。彼が手に入れたコーヒーの苗は中米エル・サルバドル政府からベトナムにもたらされたというコーヒーの樹の苗でした。コーヒーの実をみのらせるのが難しい品種だとして誰も手を出しませんでしたが、ソンさんは結実に成功します。

 海外の専門家が彼のコーヒーの味の良いことに気づき、その品種を調べたところ、なんとアラビカ種の中でもパカとマラゴジべのハイブリッド種であるパカマラという希少品種だったのです。

 ソンさんはコーヒーの生産に人生をかけ、スペシャリティ・コーヒーとしての認定を受け、また、美味しくコーヒーを淹れるための資格を海外に留学して取得、農園近くにデザインの優れたカフェも建設し、世界中からコーヒー通たちが訪れる場所になっています。

 彼のつくるコーヒーは香りも味も一流、色も楽しめるようにワイングラスにドリップコーヒー入れて飲みます。パカマラ種の独特の風味を味わってください。

 彼の農園ではファームツアーも行なっており、農場訪問だけなら20万ベトナムドン(約1200円)、コーヒー農園や品種に関する説明(英語)を農園主のソンさんが行い、コーヒーのテイスティングもつければ、60万ベトナムドン(約3600円)です。

 コーヒーの収穫期ともなれば毎日のように外国からソンさんのコーヒー農園を訪れる人が絶えないと言います。ソンさんの講義を受けて、あなたもコーヒーのウンチクを手に入れてはいかがでしょうか?

2、ベトナム戦争戦跡めぐり

 半世紀前までベトナムで戦争があったとは信じられないほど、現在のベトナムは平和な空気に包まれています。かつて戦いあった米国とは貿易・経済関係も良好で、インテルの半導体工場やアップルの下請け工場も複数存在しているほどです。

 しかし今も戦争当時に散布された枯葉剤の影響を受けて被爆者の子どもたちや孫たちは障がいを持って生まれ、今も苦しみ続けています。

 今もウクライナやパレスチナ地域では戦争が続いています。平和になったからといって過去の戦争の傷跡や歴史を忘れて良いわけがありません。なぜ戦争は起こったのか、そしてその戦争がどう戦われたのか、また、その戦争はどのような交渉を経て終結にいたったのか、後世に伝え、また再び戦争の惨禍が起きないようにするのが現在を生きる私たちの使命ではないでしょうか。

 そこで、ベトナム戦争を知るために、戦跡や戦争博物館を訪れて、その戦争の実態を体感してみてはいかがでしょうか。

 ハノイでなら、まず訪れて欲しいのは、軍事歴史博物館です。かつてのハノイ城の中に位置し、正面左にはベトナム国旗「金星紅旗」がへんぽんとひるがえるフラッグタワーが目印となっています。

 ベトナムの古代から現代までの戦争の歴史を紹介する博物館で、特にフランスとの戦い(第一次インドシナ戦争)と米国との戦い(ベトナム戦争)での遺物には圧倒されます。その数15万点が収蔵され、屋内では4000点、屋外では200点の遺物が展示されています。

 1975年4月30日、サイゴン「解放」にあたって、南ベトナム政権の大統領官邸(独立宮殿)に突入した旧ソ連製の戦車の実物を見ることができます。

 また1946年にはじまった抗仏戦争で用いられた「ボム・バーカン」という特攻兵器を手にした兵士の像と写真も掲げられています。この兵器は竿の先に爆薬を詰め、三つに伸びた信管を敵の戦車に押し付けることで爆発する仕組みになっています。竿を握って敵に突進する兵士は目前で爆発することになり、もちろん爆発と共に命を失うことにもなる兵器です。フランスとの戦闘が開始された初期に用いられ、兵士の決意の高さを示すものとされています。同じ仕組みを持った特攻兵器は日本の遊就館にも展示されています。

 屋外の展示では抗仏戦争当時に使用されたフランス製の大砲やベトナム戦争で用いられたミグ戦闘機も展示されています。日本人として注目したいのは四一式山砲という日本製の小型の大砲です。日中戦争、第二次世界大戦でも使用された山砲ですが、この大砲が巡り巡って、フランスに大勝したディエンビエンフーの戦いで用いられ、大きな戦果を上げています。中国で中共軍が国民党軍から鹵獲した山砲で、それを新生中国がベトナムの戦線に送ったものだろうと推測されています。

 ホーチミン市なら戦争証跡博物館と市の郊外にあるクチトンネルを訪れてみてください。戦争証跡博物館は以前は戦争犯罪博物館という名称でした。アメリカとの国交回復あたりから名称を証跡博物館と名を変えて現在に至っています。特に枯葉剤被害やソンミ事件などの展示には圧倒されます。またベトナム戦争で従軍したカメラマンの作品群はベトナム戦争の現実を捉えており、人々の心を打ちます。特に、南ベトナム軍に従軍して戦争を記録した石川文洋氏と、戦後も一貫して枯葉剤被害を追い続けた中村吾郎氏の写真コーナーは、ベトナム戦争に関わった日本人ジャーナリストの仕事の凄まじさを感じ、誇りにさえ思います。

 ホーチミン市中心部からは車で1時間30分の距離にあるクチトンネルはベトナム戦争当時に南ベトナム解放民族戦線の基地があったところで、全長250kmに渡る地下トンネルの基地があった場所を、一般に解放しているところです。トンネルに潜ったり、当時ゲリラ兵士が食べていたイモを試食することもできます。

 ベトナム戦争当時に使用されていた銃の試射を行える場所もあります。ジャングルに砲声が響くと、この場所が激戦地であったことを思い知らされます。

 永遠の少年たちに贈るベトナム旅行、いかがでしたでしょうか?ぜひ、男性の皆さんもぜひベトナムへお越しください。

文=新妻東一

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