ベトナムのクリスマス〜社会主義国のクリスマスはどんなものなのか?
- 2025/12/15
- ベトナム観光旅行記

日本人の感覚では、「2025年も残すところ、あと半月となりました」ですが、ベトナムは旧暦のため、“今年(2025年)”は、まだ約2ヶ月(2026年の元旦は2月17日)あります。クリスマスは新暦に従うため、日本もベトナムも12月25日ですが、地域によってキリスト教徒の数も大きく違い、ベトナムの中でも、その過ごし方や祝い方に地域差が見られます。今回は年末特別企画として、Bizmatchの2人のライター、新妻(ホーチミン在住)と土佐谷(ハノイ在住)が、南北を代表するそれぞれの“キリスト教徒の町”のクリスマスをご紹介します。
1.ホーチミン(南部)のクリスマス
土佐谷:私はハノイ市に住んでいるので、南部のクリスマスはどんな感じなのか気になります。
新妻:11月も半ば過ぎになると、ホーチミン市の街並みはクリスマスの飾り付けで賑わうようになります。ショッピングセンターやデパート、マンションやオフィスのロビーにも豪華な飾り付けが施されます。教会にもイルミネーションや巨大なイルミネーション、キリストの生誕のシーンの模型などが飾られます。キリスト教国でもない日本のクリスマスの盛り上がりにも負けず劣らず、クリスマスは多い盛り上がります。
土佐谷:新妻さんは早くから、ベトナムを訪れていました。最初に来た頃は、どんな感じだったのでしょうか?
新妻:私が最初にホーチミン市を仕事で訪れたのは1988年12月のこと。まず最初に日本からハノイに入国。当時はまだ直行便がなかったので、タイ・バンコク経由でハノイ入りしました。時は師走、どんよりと曇った空に殺風景な田舎の空港に降り立ったというのが印象的でした。
当時、私が勤めていた貿易会社は、ハノイとホーチミン市にそれぞれ駐在事務所を構えていました。初出張で、ホーチミン市にもあいさつにいけと言われたので、12月後半はホーチミン市で過ごしたのです。事務所はドックラップ(独立)ホテルの一室をあてていました。現在はカラベールホテルと1975年以前のサイゴン解放前の「昔の名前」に戻っています。
ハノイは年末とはいえ、当時はまだクリスマスを祝うようなこともありませんでしたから、年末でも殺風景なまま。でもホーチミン市では街中にささやかなクリスマスの飾り付けもなされていました。クリスマスイブには、取引先の国営輸出入貿易会社の社員たちと日本人各社の駐在員とで、クリスマスパーティが催されました。会場はホテルの屋上です。

ホーチミンのショッピングセンターの様子(2025年12月撮影)

土佐谷:30年前くらい前に、社会主義国のベトナムで、クリスマスパーティーが行われていたというのは、驚きですね。私は2019年の秋に駐在員として、初めてベトナムに来ました。ハノイにある家具工場に勤めていたのですが、当時、ハノイ以外にバリアブンタウ(現ホーチミン市)に工場がありました。会議で、「12月後半は南(バリアブンタウ工場)はクリスマス休暇なので、生産がありません」と。ベトナム最初のクリスマスは、赴任して2ヶ月くらいの頃で、同じベトナムでも南北で文化が違うということを、初めて知った出来事として、今でも記憶に残っています。
新妻:その10数年前まではアメリカが支援する南ベトナムの政権下にあったホーチミン市。共産主義政権下でもキリスト教を捨てずに信仰する人々が多く住む街だけあって、クリスマスも日本とかわりなく執り行われていました。ただし、今ほど豪華な飾り付けではありませんでした。
ドイモイ政策によって、市場経済化の進行とともに、宗教に対しても寛容な政策が進められ、それにともなって、南北ベトナムともクリスマスを派手に祝うようになりました。今ではクリスチャンのみならず、どの家庭でもクリスマスには、リースやツリーを部屋に飾り、ケーキを購入し、ご馳走を食べるようになっています。子どもたちにはサンタクロースを着たお兄さんがプレゼントを届けるサービスまであります。クリスマス商戦まで期待されていることは、日本とすでにかわりありません。宗教や信仰によって差別を受けていた時代があることを思えば、大きな変化だと思わざるを得ません。
土佐谷:以前ホーチミンに住む友人から、クリスマス時期は若い女性たちでTAKASHIMAYAが賑わう、と聞きました。プレゼントでも買いにデパートへお出かけかと、と思っていたのですが、キラキラしたクリスマスの町中で写真を撮るためで、スーツケースを持ち込んで、トイレで着替えをするのだとか。他でも着替えをする場所はあるのでしょうが、TAKASHIMAYAのトイレはきれい、と評判だそうです(笑)。ハノイはホーチミンに比べたら、その賑わいは小さいとは思いますが、流行に敏感な若者が集まるカフェなどでは、早くからクリスマスの飾り付けが行われています。去年は、ハノイでもショッピングセンターに入る“スーツケース女子”を見かけました。

ホーチミン市内の様子(2025年12月撮影)

2.ナムディン(北部)のクリスマス
新妻:北部の“キリスト教徒の町”と言ったら、ナムディンは外せないでしょう。
土佐谷:そうですね。ハノイには観光地としても有名なハノイ大教会がありますが、教会、キリスト教徒の数で言ったら、圧倒的にナムディンです。ただ、ナムディンと聞いて、どんな町かをすぐに思い浮かべることができる方は、かなりの“ベトナム通”ですよね(笑)。
新妻:歴史好きな方であれば、モンゴル軍を撃退した英雄、チャン・フン・ダオという名前を聞いたことがあるかもしれませんが、彼の故郷はナムディンです。ナムディンは、北部のハノイから南東に約70km離れた北部デルタ地帯に位置していて、古くから周辺地域の穀物の集積所で、水上物流の要所としても重要な役割を果たしてきました。
土佐谷:海が近いので、シーフードも美味しいですよね。以前、塩田の写真を撮りにナムディンに行ったことがありますが、昔ながらの塩作りを行なっている塩職人も多く住んでいるところでした。残念ながら、外国人が訪れるような有名な観光地はないですね。

海に近いナムディンは、シーフードが美味しい。

5〜9月の暑い時期は、今でも昔ながらの伝統的な塩作りが行われている。
ご存知ない方のために少しだけ、ナムディンの町をご紹介したいと思います。ナムディン省の総人口は約190万人、人口の約25%にあたる約47万人がカトリック教徒と言われています。ベトナム全体でカトリック教徒は600万人以上(人口の5〜7%)と言われていますので、ナムディンが「キリスト教徒の町」と呼ばれる理由もおわかりになるでしょう。車でナムディンの町を走ると、あちこちに一際高い建物が見えますが、そのほとんどは教会です。

ナムディンは、ハノイの南東、トンキン湾に面した港町。

「廃墟の教会」として知られるハイリー教会。朽ちた姿が美しいと映えスポットになっている。
新妻:北部に住んでいてもナムディンのクリスマスを観に行く日本人はあまりいないですよね(笑)。行ったきっかけは何だったのですか?
土佐谷:私がクリスマス時期に訪れたのは、2022年。正確に言うと、ナムディン省との省境、タイビン省のトンタイ地区です。ちょうどこの年のクリスマスは週末にあたり、ベトナム人の友人の誘いでナムディンへ行くことになりました。友人からは、ナムディンの教会に行く、とだけ告げられており、訳もわからず、マイクロバスに乗り込み現地に向かいました。その頃、私はナムディンがどこにあるのか、またナムディンがどんな町なのか、全く知りませんでした。目的を持って行ってきた、というより、ミステリーツアー先がナムディン(実際はタイビン)だった感じです(笑)。
新妻:クリスマス時期の“ミステリーツアー”で、どんなことを体験してきたのですか?
土佐谷:バスに揺られること約2時間。着いたのは、個人宅前。ベトナム人の家主が現れ、私たちを家の中に招き入れてくれました。家の奥の祭壇の前には50人以上は入れそうな開放的な広い庭、テーブルにはすでに料理も用意されていました。クリスマス・イブではありますが、西洋式のクリスマスパーティーにつきものの、七面鳥、ワインやシャンパン、“サンタクロースに扮した親戚のおじさん”もいなければ、ケーキもありません。大勢の人たちが集まる時は、必ず鍋。クリスマスであってもそうでした(笑)。これがベトナム流なんですね。どこからともなく次々とやってくる人たち。聞くと、親戚や近所の人たちで、挨拶のために1件1件回っているのだとか。私が日本人だとわかると、お酒によるおもてなしが始まりました。この日集まっていた人の多くはキリスト教徒とは思いますが、宗教や宗派に捉われず、そこにいる人たちみんなで1年間、無事に過ごせたことを喜びあう、とても心地よいパーティーでした。

自宅の庭がパーティ会場。テーブルには、メイン料理の鍋料理が並べられている。

家の奥には、祭壇が置かれている。
新妻:町全体の様子はどんな感じでしたか?
土佐谷:少しお腹もいっぱいになったところで、お母さんが、近くの教会でお祭りをやっているよ、と教えてくれたので、酔い覚ましに、散策がてら出掛けてみました。教会に続く参道には、“タイビン版ミレナリオ”とも言える、光のアーチもありました。教会に着くと、ライトアップされた大きな教会と大きな広場、まるでそこはヨーロッパのようです。ハノイにも有名な教会がありますが、地方の教会でありながら、その規模や絢爛さがレベル違いであることに驚かされたことを覚えています。中では、小規模なミサが行われている一方、広場にはステージが用意され、大音量で歌やダンスなどのパフォーマンスが披露されていたり、屋台、釣り堀やエア遊具のコーナーなど縁日のような楽しいイベントが盛り沢山でした。厳かにクリスマスを過ごすというよりは、日本の夏祭りのような印象ですね。
新妻:今年の秋に、ハノイからホーチミンに引っ越しをしたのですが、南部で仕事をしていると、北部弁の人によく出逢います。多くの場合、最近北部から南部に移住した人なのですが、中には1954年のジュネーブ協定以後、南北ベトナムが分断され、北部では政権によるキリスト教への迫害をおそれて北部から移住してきた人たちもいます。私のベトナム人の知人もナムディン出身者で、家族でカトリック信者でした。今では地元でクリスマスを祝えるようになったのだと思うと、感慨深いですよね。その背景には、ベトナムとキリスト教の歴史が大きく関係している訳ですが、そのあたりの話もしていきましょうか。

参道の”タイビン版ミレナリオ”。

ホアンサー教区教会(Nhà Thờ Giáo Xứ Hoàng Xá)。周いには他にも数件の教会がある。田舎町にあるとは思えない程、立派な建物。

クリスマスは、静かに祈ると言うより、お祭りのように賑やかさ。

子どもたちも楽しめるよう、様々なゲームが用意されている。
3.ベトナムとキリスト教
土佐谷: 1533年ナムディンにポルトガル人の宣教師が布教を始めたのがベトナムにおけるキリスト教の始まりと言われています。16世紀後半からはバチカンとベトナムは宗教的な繋がりもできましたが、現代に至るまで紆余曲折でした。
新妻:日本の江戸時代の禁教令と同様、ベトナムのキリスト教徒の宣教師や信者たちも、その時代の政治や社会思想に翻弄されてきました。17世紀には儒教思想が強くなり、封建社会の下、キリスト教は禁止されました。その考えは次の阮(グエン)朝にも引き継がれ、その間、宣教師や信者が弾圧を受けてきました。バチカンは彼らの保護をフランスに要請しますが、それはフランスのインドシナ侵略(植民地化)を後押しする結果となりました。
土佐谷:その後、仏領インドシナ時代に、フランス統治下で急速にキリスト教が拡大し、ベトナムはアジア有数のカトリック国になります。バチカンの思惑通りに進んでいたところ、南北分断で一気に情勢が変わりました。
新妻:北ベトナムは共産政権で、宗教活動は厳しく制限されました。そのため、多くのカトリック教徒は迫害を逃れ、南へ移住します。その数は80〜100万人とも言われています。一方、ベトナム共和国(南ベトナム)の初代大統領のゴ・ディン・ジエムはカトリック出身で宗教色の強い政治を行っていました。バチカンは南ベトナムと密接な関係を続けていた訳です。しかし、1975年に南北統一後、社会主義体制に代わり、宗教の制限は再び厳しくなり、ベトナムとバチカンの公式的な外交関係も途絶えました。2000年代に入り、宗教政策が緩和され、2023年7月にはクオン国家主席の、バチカン訪問も実現しました。ベトナム政府は、カトリック教会のネットワークが福祉、教育、医療活動などの慈善事業に積極的に参加していることに対し、国の発展に貢献していると受け止め、高く評価しています。一方、バチカン側も、対話できる社会主義国、またアジア外交の重要な拠点としてベトナムを見ており、両者は今後も良好な関係が続きそうです。
土佐谷:法王がベトナムに来訪する日も近いかもしれませんね。
担当=新妻東一(1章)、土佐谷由美(2章・3章)
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