世界遺産チャンアン、一千年前の古都ホアルー、石と木造りのファットジエム教会/ニンビン
- 2022/06/01
ハノイ市内から南へ100km、車で約2時間の距離にニンビン省があります。ハノイ市内観光を終えたら、ハノイ近郊の日帰りコースとしておすすめなのが、このニンビン省です。
実はニンビン省はベトナムでもっとも古い都があった場所です。それも10世紀当時の都です。ベトナムは紀元から1000年は「北属期」と呼ばれ、ながらく中国の支配を受けていました。
唐の勢力が衰え、辺境を治めていた節度使が各地で反乱を起こし、五代争乱の時代が訪れた10世紀頃からベトナムの独立の機運が激しくなり、北属期を脱して打ち立てられた最初のベトナムの封建王朝、丁(ディン)朝の都ができたのがこのニンビンだったのです。その後、11世紀には李朝が興りますが、都を今のハノイに定めました。それまではこのニンビンのホアルーという場所がベトナムの都でした。
またニンビン省にはチャンアンと呼ばれる景勝地があります。ハロン湾と同じような石灰岩カルスト地形の山々が連なり、その山を縫うようにして沼が広がっています。小さな手漕ぎの船で景色を眺め、洞窟をくぐり、観光を楽しみます。
そして17世紀にカトリックの布教が開始されたニンビン省には、木材で作られた仏教寺院と石造のカトリック教会とが融合したようなファットジエム大聖堂もあります。「第三の男」などの作品で知られる英国の作家、グレアム・グリーンは、その小説「おとなしいアメリカ人(The Quiet American)」の中で、ファットジエム大聖堂の建物を評して「キリスト教的というより仏教的だ」と述べています。
ハノイからも日帰りで訪れることが可能な観光地、ニンビン。これからウェブ誌上にてご紹介いたしましょう。
ベトナムで第8番目にユネスコ世界遺産に指定されたチャンアン複合景観
紅河デルタの南に位置するチャンアンは石灰岩の山々の垂直に切り立った険しい崖に囲まれた谷間にあり、カルスト地形の独特の景観が特徴です。多数の鍾乳洞もこの付近にあり、3万年前からこの地域に人間が住んでいた痕跡が残されています。この地域はかつてハロン湾のように海に沈んでいた時期もありましたが、現在は隆起によって地上にその姿を現しています。
この景観の特殊と3万年に及ぶ人類の歴史、そして近隣には千年以上前の都であったホアルーが存在することから、チャンアン複合景観として2014年にユネスコ世界遺産として登録されています。
チャンアンでは特徴ある景観を楽しむために、石灰岩の山々を小舟で巡るアトラクションがあります。最大6〜8名ほどが乗船できる手漕ぎ船に乗り、船頭さんが手で船を漕ぎ、案内をしてくれます。ところどころにある鍾乳洞をくぐったり、上陸して寺院を詣でたりすることができます。乗船時間はコースによって異なりますが、2.5時間から4.5時間までとなっています。おすすめは4つの鍾乳洞と3つの寺院を巡る第二コースです。時間にして約3時間のコースです。
2017年公開の米映画「キングコング髑髏島の巨神」ではチャンアンを含むベトナム4カ所で2カ月にわたるロケが敢行されました。映画では南太平洋の孤島との設定の髑髏島ですが、映画の中ではチャンアンがキングコングの故郷である髑髏島として、その景観が使用されています。一時はロケ現場を再現した場所も設けられましたが、世界自然遺産としての景観を守るために廃止となりました。
観光を楽しんだ後はぜひニンビン省名物の山羊料理をお試しください。山羊の肉は臭みがあって苦手な方も多いかと思いますが、ニンビン省の山羊は山に放し飼いをし、自然に生えた草や薬草を食べているためにい肉の臭みが少なく、肉は適度に柔らかく、食べる際にはライム、ショウガ、トウガラシ、レモングラスやベトナム独特の香草類と共にいただきます。料理の種類は20種類にもなります。蒸したり、焼いたり、炒めものや煮込み、鍋にしてもおいしいのがニンビンの山羊料理です。中には山羊の血を固め、ゼリー状になったものをスプーンで食べる「ティエットカン」という料理もありますが、これは食べるのにちょっと勇気が入りますが、意外なことに臭みはほとんど感じられません。
一千年前の丁(ディン)朝と前黎(ティエンレー)朝の都ホアルー
紀元ごろから一千年間、中国の支配を受けていたベトナムは唐が衰退し、辺境を守備する軍職であった「節度使」たちが反乱を起こして五代十国と呼ばれる群雄割拠の時代となると、ベトナムにも独立の機運が高まりました。10世紀には中国南部の節度使と戦い、知謀によって勝利した武将・呉権(ゴークエン)が現れますが、その統治は長く続かず再び十二使君と呼ばれる土豪が群雄割拠する時代が訪れます。
これら十二使君ら土豪を打倒しトンキン平野一帯を平定し、ベトナムを最初に統一したのが丁部領(ディン・ボー・リン)でした。自らの出身地であり、山間にあって攻めるに難しく、曲折した川があり、平野もあるホアルーに彼は都を定め、国名をダイコベトと名づけ、自らを皇帝と名乗りました。968年のことです。
敵軍が人質にとった丁部領の子どもを竿にかけ、降参しないとこの子を殺すぞと脅しましたが、「男たるもの子どものために大事を曲げられるか」と自分の子どもに向けて矢を放つのを見て、さすがの敵も軍を引き返したという逸話もあるほど気性は荒かったようです。
彼の出生にあたっても逸話が残されています、母親がカワウソと交わって生まれたのが丁部領で、村人がカワウソを捕まえて食べてしまったあと、残った骨を拾い、これがお前の父親だと母に示されたそうです。とにかく逸話に事欠かないのが丁部領です。
丁部領は末子をかわいがり太子としたために長子の恨みを買い、太子は殺され、その長子も宮廷官吏に父親と共に殺されてしまいます。
その後、この混乱に乗じて中国の宋が攻めてきますが、将軍黎桓(レーホアン)は宋軍を打ち負かし、皇帝の地位につきます。これが前黎(ティエンレー)朝です。黎桓は黎大行(レーダイハイン)を名乗ります。
ホアルーはかつて都だった場所ですが、その遺構はほとんど残っていません。代わりにご紹介した二人の皇帝の廟が建てられていますので、その二つが古都ホアルー観光の目玉です。
ディン・ティエン・ホアン廟には午門、蓮池、岩山、花園、外儀門、内儀門、3つの拝殿からなっています。丁部領とその男子たちが祀られています。
レーダイハイン廟はディンティエンホアン廟から500mほど離れた場所にあり、やはり3つの拝殿があります。真ん中はレーダイハイン、右はレーの息子、左は皇后がそれぞれ祀られています。
自然の要塞に囲まれた千年前の都ホアルー。11世紀に打ち立てられた李朝はこのホアルーから現在ハノイのあるタンロンに遷都します。
石と木で作られたまるで仏教寺院のような教会、ファットジエム大聖堂
ベトナムにキリスト教が伝来したのは16世紀前半であると推測されています。当時のベトナム北部、ニンビン省のお隣のナムディン省では布教活動も確認されています。キリスト教の伝来が最も古い場所に近く、それゆえにカトリック教会の数も極めて多い地域でもあります。
中でも19世紀に建設されたファットジエム大聖堂はその建築様式の特異さで知られています。ベトナムの伝統的な寺院や拝殿などの建築様式を用いて大理石とリムなどの高級な木材とで作られています。「第三の男」などのスパイ小説で有名なグラハム・グリーンはその小説の中でファットジエム教会を「キリスト教的というよりは仏教的」であると評しています。(グラハム・グリーン「おとなしいアメリカ人」)
正面にはまず正方形の池があり、中央にはイエス・キリストの像が建てられています。建築物としては、教会であるはずなのに梵鐘が据えられた鐘塔、中央には木造の大教会と周囲に5つの礼拝堂が並配置されています。奥にはキリスト教の聖地を表した岩山が3つ据えてあります。
キリスト教会であるにも関わらず、池を正面にし、背後に岩山を配置するなどベトナム風水の伝統的な「前水後山」の思想を表現しているほか、ハス、菊、獅子などのモチーフの装飾が施されている、アオザイをまとったマリア像など、ベトナムの文化と融合したキリスト教の建築が見られます。
戦後のフランスとのベトナムによる植民地解放戦争の時代には、ファットジエム教会の司教は1700名もの軍隊、6000名もの民兵を擁し、ジープや軍用トラックで武装し、手榴弾や迫撃砲を製造する工場すら所有していたそうです。一時期はベトミン側(現在のベトナム共産党による統一戦線組織)に加わってフランスに対抗した時代もありましたが、フランス側の工作によって最終的にはフランス側にくみして、ベトミンと熾烈な闘いをしたことも知られています。
半世紀前の1972年には米軍による空爆によって屋根が破壊され焼失、その後復旧して現在は空爆の跡を残していません。
ベトナムにおけるキリスト教の歴史を体現するような建築物であるファットジエム教会。ニンビン観光の際にはぜひ訪れてみてください。
文=新妻東一 写真=大木茂・新妻東一
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