悔しさから起業、トラブル解決の先に内装設計施工ベトナムから世界へ/DESIGN & CREATIVE ASSOCIATES代表 清水謙治
- 2026/03/19
- 日系企業インタビュー

「ホーチミン市に設立した会社を閉めて帰ってこい!と言われてね。悔しかったんですよ。ベトナム人5人に夢を語って彼らを雇ったばかりだったので。責任あるでしょう。勤めていた会社を辞めて、ベトナムと取引をするためにつくった子会社の株を買い取って起業しました。それがはじまりなんです」
店舗やオフィス、最近ではショッピングモールなどの大型プロジェクトの館内内装を手がけるDCAグループ。現在では190名を超える従業員を抱え、ベトナムだけでなく、カンボジア、タイに拠点を構え、日本への逆進出も視野にいれている。
同社を率いる社長、清水謙治。ほぼ毎月のようにベトナム・カンボジア・タイの新店舗を自身のSNSで「勝手に」紹介している。私の住むビンホームズグランドパークにある日本料理店「権炭」も、DCA社が店舗内装を手がけた店だ。
私はそのSNSをみて、DCA社の清水社長をぜひ取材したいと思っていた。そこで、彼にダイレクト・メッセージを送って取材を依頼したところ、快く取材に応じてくれた。取材はリモート会議アプリを使用して行った。
ラーメン屋から住宅建設会社へ就職?!

「大学院卒業後は、就職活動しないで京都のラーメン屋で働いていたんですよ」
京都府立大学住居学科で学び、大学院まで建築デザインを勉強したにもかかわらず、生活のために学生時代から引き続きラーメン屋のアルバイトとして働いていた。
ある深夜、常連客の住宅建設会社の社長と仲良くなる。ラーメン屋の大将が「建築で大学院まで卒業したのにラーメン屋で働いているんだ」と清水を社長に紹介した。「それはもったいない。うちの会社で働いてみないか」そう社長に誘われて、住宅建設会社に就職が決まった。
会社といっても社長と現場監督、それに清水。たった3人の会社だった。営業、設計、雑用と入社後はモーレツに働いた。
休日も寝る間も惜しみ、図面をひき、現場を回り、営業も続けた。おかげで建設上場企業のハウスメーカー営業マンが掲げる年間ノルマの約3倍も売り上げた。
職人さんや現場監督から『そんな働き方をしていたら身体こわすから、仕事やめたほうがいい』と言われていた。
「交通事故は起こすし、身体はフラフラだったみたいです。自分は働き過ぎに気がつかなかったんですよね」とこともなげに語る清水。
大学院卒業後、二年間勤めていた会社は営業が中心。せっかく大学で建築学を学んだのだから設計もやりたいなと思い、設計事務所に転職する。
「設計ではなく建設反対運動の対応、大手ゼネコンが長年取り組んでも建設許可が取れなかった土地の建築確認申請を取得したりと、、難しい処理が必要な仕事ばかりをしていました」
清水は当時を振り返って自らを「トラブルシューター」と呼ぶ。過去の経験から何でもできるとみなされ、「清水くんだったらやれるよね」とばかりに難しい案件ばかり任されるようになってしまった。
同時期に、プライベートでも身内の多額な借金処理にもあたった。借金の返済という法的、実務的な知識を独学で吸収しながら、1年半をかけて各金融機関と交渉・資産売却を実行し、最終的には残債を3分の1にまで圧縮することに成功。
「いまから思い返すと、あの当時の公私にわたる難しい問題を解決してきた経験から、問題には解決できる方法が必ずあって、知識と実行することがとても大事だと学べました。。あの当時と比較するといまのビジネス上の問題は簡単ではないが、解決が困難だと思わなくなりました」
公私にわたるトラブルシューターとしての経験値がその後の清水の経営者としての背骨を形作ることになったのはいうまでもない。
ベトナムで会社立ち上げるも帰国命令、悔しくて起業

難問を次々と解決する、その手腕を見込まれたのか、2005年10月のある日、社長から「ベトナムでなんでもよいからビジネスを立ち上げてこい」という命が清水にくだる。
社長は海外旅行好きで、これまでも休みをとってふらっと海外にでかけてしまう。なかでもベトナムがお気に入りだった。いつかベトナムで事業をやりたい、そう社長は考えていた。清水はそれまでベトナムはおろか、海外へは全く関心がなく、英語をはじめ語学の嗜みもない。
「2003年社員旅行でベトナムには一度いったきり。当時はまだ子どもたちに囲まれちゃって往生したり、夜になるとバイクにまたがった女性が『今晩どう?』と誘いをかけてくるような、そんな時代でした」
むちゃぶりがすぎるとは思ったものの、清水は半年の約束でベトナムに降り立った。
駐在事務所を二ヶ月で設立、やみくもにまったく知らない業種に手をだしてもうまくいかないだろうと、ベトナムから日本への建材輸出などを手がけた。半年で帰国の予定が2年の滞在となり、自分でもベトナムでのビジネスの手応えを感じていた。2007年事業拡大のためにベトナム人5名を雇用した。
ところが社長から、ベトナムでのビジネスの将来性が不透明、日本の仕事が忙しいから会社を閉鎖して日本へ戻ってこいという命令をもらう。
「雇用したばかりのベトナム人スタッフをどうするのか聞いてみたところ「解雇して」と簡単に言われ悔しかったです…。社長って家族でいうところの親ですよね。裏切られたような寂しさと、同時に自分のスタッフを裏切れない感情ですごく悩みました」
2007年、31歳にして清水は所属している設計事務所を退職し、ベトナム事業をはじめるために作った会社を買い取り、事業を継続することとなる。
「清水さんはベトナムで事業をはじめられて、先見の明がありますよね、とか、野心や起業意欲がすばらしいといわれますけど、それは全然ないです」と苦笑する清水。
当時雇った5人のうち、4人までが今も同社に残り、会社の幹部や子会社の社長となって今もともに働いてくれている。
あの時、自分が社長に言われるままに会社を閉めて日本に戻っていたら、彼らの今の未来もない。清水はいう。「あのとき決断して事業継続してよかったな、そう思います」
ベトナム語を習得して、ベトナム語でコミュニケーション

「1ヶ月で通訳を3人も交代させました。4人目の通訳者も通訳できず、もしかしたら自分の関西弁が悪いのかもと、たどたどしい標準語で話したら通じたんです。言葉って相手に伝えるのが大事だと学びました。」
清水はベトナムに来た当初ベトナム語・英語が話せず、日本語通訳を雇っていた。ただ、強い関西弁のため通訳者が通訳できなかった。以後自ら努力してベトナム人通訳には関西弁をやめ、標準語をしゃべる努力をした。
当初、清水は内装や建築の現場で職人と一緒になって働いた。職人はベトナム人で英語はおろか日本語もできない。ただ現場での作業は安全第一、危険な動作をすれば生死に関わる。またちょっとしたミスで数百万円の損失を出すこともある。
そんなときに通訳を介していては作業は改善しない。自らベトナム語で意思を伝える必要に迫られた。まずは少しづつベトナム語の単語を覚えていった。
ベトナム語は母音だけで11音、二重母音も6つ、日本人にはない有声音、無声音などの子音がある上、声調(トーン)は6つもあるため、日本人が言葉を習得するのは困難が伴う。だが清水は、ベトナム語を発話する際のベトナム人の口の形や舌の動き、鼻や喉の使い方がどうなっているかに着目し、正確な発音を心がけた。
言葉は正しい発音ができるようにならないと聞き取りも難しい。そのことを教科書からではなく実地でつかんだ。お昼休みには部下を先生にして、ベトナム語を教わった。
「当時のマネージャーは、自分より6歳年上で、日本語も英語もできた。でも一切通訳をしてくれないんです。ベトナムで真剣に仕事するならベトナム語で話さないといけないと言われる。ベトナム語の勉強のため、マネージャーの日替わりの細かいトッピングの指示を伝え、ローカルのお弁当を2人分買いに行ってました」
ベトナム人の従業員に日本語を習わせるより、会社ではマイノリティである日本人がベトナム語を習う方がコストもかからない。そう信じる清水は日本人社員にもベトナム語を学習させ、8人全員ベトナム語ができるそうだ。
清水の会社のもうひとつの特徴は自社で家具製造工場をもっていることだ。店舗やオフィスには必ず開店予定日がある。設計、施工を引き受けた以上、下請けの会社の施工が遅れることによって、納期がのびれば、お客様に迷惑がかかる。ベトナムでは工期の遅れが当たり前だと言われるなか、下請けや外注に出すことを言い訳にしたくなかったと清水はいう。
アウトソーシングが時代の趨勢だとしたら、自社工場をもつことで納期が守れるなら、それは顧客のためだと信じて疑わない清水は、進んで内製化を進めた。それによってベトナムでの内装施工の納期をまもることに成功した。またそれによって清水の会社、DCA社の信用が高まったことはいうまでもない。
ベトナムから翼ひろげ、カンボジア、タイへ

DCA社グループは現在、ベトナムに3つの会社があり、従業員数は約160名。内装設計施工、家具・建材輸出に加え、建築CADセンターを運営している。カンボジアでは内装設計施工を運営し、従業員数約30名。、タイにも2024年に進出した。 店舗、オフィスのみならず、ショッピングモール、スーパー等の大型プロジェクトも引き受ける。ベトナムで起業しながら、他国へも展開した上、小規模店舗から大型プロジェクトにまで事業を拡大した。
「会社の仕事はなるべく社員にまかせて、経営会議への参加や売上をつくる仕事だけに絞っています。現在はハノイに住み、最近結婚して子どもができたばかり。子育てに専念するからと従業員には宣言してるんですよ」
清水は自ら達成してきた事業の拡大を自慢げに話すわけではない。
5人の従業員を見捨てず、自分の責任で雇った従業員を大切にし、ともに自らの会社を大きくしてきたことが清水の言葉からわかる。
どんな苦境に陥っても、自らの責任でもって従業員と顧客を守ることのできるひとが経営者であってほしい。が、口でいうほど簡単なことではない。そしてその約束が守られたからこそ、清水の今がある。経営者となるなら、清水の姿勢を学ぶことが必要だろう。
文=新妻東一

DESIGN & CREATIVE ASSOCIATES
代表 清水謙治
プロフィール
1976年京都府生まれ、京都府立大学大学院修了。住宅会社や設計事務所を経て、2005年にベトナムへ渡り「ドリカムアジア」を設立。2007年に独立、内装設計・施工や建材輸出を柱に事業を拡大。現在はベトナムやカンボジア等で約160名の社員を擁するDCA代表を務め、日本への逆進出も推進中。
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