事業立ち上げに「ワクワク」がとまらない、ダラットでマスクメロン生産

アグリテックジャパン/農場長・有田幸司インタビュー

 昨年、ダラット産のマスクメロンをご馳走いただいた。ブランドは「富士」。うやうやしく、富士山の描かれた化粧箱入りだった。果肉は美しいもえぎ色、甘味も十分、やわらかな触感も日本産と遜色ないものだった。高級くだものの代名詞ともいうべき日本のマスクメロンをベトナム中部高原のダラットで生産している農場がある、ということをその時に知った。農場の名称はアグリテックジャパン。今回はその農場長を勤めている有田幸司にインタビューをお願いした。

 有田の生まれは1978年。出身地を尋ねると「実は父の仕事の関係で幼いころは台湾、香港で暮らしました。いわゆる転勤族だったんです。小学校6年生から高校までは大阪で暮らしました」香港では日本人学校に通い、中高ではサッカーやテニスクラブで汗を流す「ごくごく普通の少年でした」と自らを振り返る有田。

 大学に進学し心理学を専攻。就職氷河期ということもあって卒業後は就職浪人、2年間アルバイトをした。ベトナムで日本語教師をしていた父が「一度遊びにおいで」と誘われ、おとずれたのがベトナム最初の訪問となった。有田25の歳だった。

 父の教え子の実家があるタインホアの田舎を訪ねたり、30時間以上かけて南北統一鉄道に乗車し、ハノイからホーチミン市まで旅をした。日本人の歯科医でベトナム南部でボランティア歯科治療をされている方に同行もした。有田は1ヶ月滞在の間に観光地らしい場所は一度も訪ねなかったという。

 「その時のベトナムの印象ですか?そうですね、みな元気がいいな、と感じました」有田は日本では就職しておらず、アルバイト生活を続けていた。これからベトナム経済はますます発展し、日系企業も次々と進出するであろう、ベトナム語が話せる日本人であれば就職にも有利かもしれない、そう思った有田は翌年の2004年ベトナムに留学することを決意する。当時、ハノイ外国語大学、現ハノイ大学の日本語センターでベトナム語を学ぶ。

ベトナム中部高原ダラットの農場

「最初の半年は週3回は大学に通いベトナム語を習いました。1998年に出店した日本料理店『紀伊』でアルバイトもしていました」日本料理店「紀伊」は単身赴任の駐在員のよりどころ、晩酌をかねて毎日夕食をとるひとも多い。そうしたお客様のひとりに有田は見込まれた。ある大手光学メーカーがハノイに工場を立ち上げることになった。ベトナム語をあやつってベトナム人とともに働く日本人が必要となり、有田に白羽の矢があたったのだ。

 「お客様に熱心にときふせられ、ベトナム語の学習はまだ1年半でしたが、日本語センターでの学習をやめ、会社に就職しました」2005年のことだ。同社はまさに工場を新たに新設する渦中にあり、ゼロからイチを生み出す仕事にワクワクした。

 第一工場の立ち上げとその経営資源の管理にはじまり、第二工場の立ち上げからフィリピン工場の撤退支援まで、企業の根幹にかかわる仕事をまかされた。有田は述懐する。「最初は形のないものをつくりあげる、仕組みのない中でルールを作る仕事に夢中になりました。毎日が充実していましたね」

 しかし転機は訪れる。気がついてみれば、工場は軌道にのり、仕事も立ち上げのころとは異なって毎日机にすわり、パソコンを叩くだけの仕事になっていた。パソコンで仕事をする毎日に飽きたらなくなった有田は、大手企業での仕事の「安定」より、仕事の充実感を味わい「ワクワク」する自分でいることを選んだ。2016年大手光学メーカーを退職した。有田は自分のことを「飽き性」と笑うが、かつてサラリーマンだった筆者もその気持ちがよくわかる。

 有田はネットで転職先をさがした。自分の生きがい、仕事のやりがいを感じられる就職先をだ。ベトナム、日本のいずれでもよかったが得意のベトナム語を用いて働くことのできる、新たにはじめた企業がいいなと思って巡り合ったのが、現在勤めているアグリテックジャパンだ。

ベトナム中部高原ダラットのマスクメロン生産ビニールハウス

 「ベトナムで農業をやります、といった求人で、これからはじまるというところに惹かれました」同社はベトナムの中部高原ダラットに2014年に創業したマスクメロンの生産販売、輸出をめざす企業だった。「応募も少なかったのか就職はすぐに決まりました」有田は大手光学メーカーで勤めた経験を生かして同社のシステムやルール作りを期待された。

 最初に取り組んだ仕事は冷蔵庫に棚をつくる仕事だった。工場、会社の立ち上げにはありとあらゆる仕事に取り組まざるを得ない。想定されていない仕事をまかされて戸惑う有田ではなかった。「机上の仕事でないことでニヤリとしましたね。来た!これぞ立ち上げだって」前職での最初の仕事は机をつくることだった。今回は「棚」をつくることだ。ワクワクがとまらなかった。

 当時職場には経営、技術の日本人3名、ベトナム人が7〜8名の小さな所帯だった。マスクメロンは当時ベトナムでは高価であり、認知されていなかった。デパートやスーパーで試食販売をしてベトナム市場での認知を高める仕事もした。価格も数千円はする。ベトナムでも高級品だ。同社の努力によりマスクメロンは広く知られるようになった。

 有田に農場長としての苦労はと尋ねると「ベトナム人の従業員は『できない』とはいわず、できないこと、わからないことでも『ハイ、わかりました』といってしまう。だからよく見て確認しないとこちらの指示とは全く違うことをやっていたりするんです。『教えてください』の一言がいえない、プライドが高いんですね」

 従業員のマネジメントでもベトナム人の特性を活かしている。「規律、ルールを守らせるより、仕事をゲームをする感覚で楽しんでもらうように、たとえばスタッフに気づいた点をスマホで写真をとって報告してもらい、1ヶ月のうちに一番報告の多かった人に表彰し賞品を授与します」有田自身も仕事を楽しんでとりくんでいる姿勢が見えてくるようだ。

ベトナムでの栽培に成功したマスクメロン

 マスクメロンの成功を力にあらたな品種も加えて拡大していきたいと語る有田。コロナ禍でベトナム国内への販売がおもわしくない昨今、シンガポール、カンボジア、中東への輸出にも力を注いでいる。

 有田に最後のひとことをお願いすると「当社従業員が丹精込めて作った『富士メロン』を多くの方、特に在留邦人のみなさんにもぜひ一度味わって欲しいですね」有田の仕事の「ワクワク」を彼の作ったマスクメロンから感じ取ることができるに違いない。

文=新妻東一

アグリテックジャパン/農場長・有田幸司

アグリテックジャパン
農場長 有田幸司

プロフィール

1978年生まれ。父の仕事の関係で台湾、香港で幼少期を過ごし、小学6年生から高校卒業までは大阪で暮らす。2001年徳島大学卒業、2002年ハノイ外国語大学に留学。2004年大手光学メーカー・ベトナム南部の工場に就職。2016年同社退職し、ラムドン省・アグリジャパンに転職、現在に至る。

http://agriteck-japan.com

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