ロスジェネ建築家、武道とベトナムに学び「立ち向かわない」建築をめざす

建築家・竹森紘臣インタビュー

 竹森紘臣、1977年静岡県生まれ。ベトナム・ハノイで建築家として活躍する44歳。筆者は彼とプライベートのお付き合いもあるが、インタビュー記事を書くなら第1回目に彼を取材したいと決めていた。彼は俗にいう団塊ジュニアで就職氷河期を味わったロスト・ジェネレーションだ。ベトナム・ハノイに自らの拠点を定め、ユニークな建築を提案するにいたった経緯を伺った。コロナの時代、取材はオンラインで行った。

 竹森は関西大学に建築を学んだ。建築家になろうとしたきっかけはと問うと「大学に入るときには建築家は大工の延長ぐらいにしか思っていなかった」と苦笑する。ただ思い出したように「静岡の登呂遺跡にある芹沢銈介美術館本館、別名石水館という建物があって、そこに小学生の時に訪れて、建物自身に非常に感銘を受けた」と語る。

 この美術館は染色家・芹沢銈介の作品のために建てた美術館で、公共建築百選にも選ばれた。白井晟一という著名な建築家の晩年の作品だ。竹森少年はそれと知らず、その建築に感じいるものがあったという。登呂遺跡と調和するように石と木といった自然の素材を活かした建物だ。小学生の竹森少年はその素晴らしさを感受する素質があったのだろう。

 大学院を卒業したのは2001年。まさに就職氷河期だった。大手建設会社の求人はゼロだった。幸い、先生と父親はそろって竹森に独立起業を勧めた。「君は就職して企業に勤めるには向いていない、自らの道を切り拓けという言葉を真に受けただけ」と苦笑する。

 大学では都市設計研究室で主に都市設計を学んだ。都市設計、アーバンデザインとは都市に何を建てるべきか、社会に何が必要かを考える学問であるという。当時、竹森は研究者を目指していたため「設計やデザインを本格的に学ぶことなく過ごしてしまった」そうだ。

 彼には独立するための知識も実力もコネもない。まず彼は地元静岡の工務店に勤める。「ものづくり」の現場を学ぶためだ。父親が大工、息子が建築士という零細工務店。そこで竹森は20軒もの現場監督をまかされた。大工たちからは「大学出の先生がこんなことも知らないのか?」と笑いつつ、しかし一言一句もらさずメモをとる竹森に「いままで教えた大工でメモをとるやつなどいなかった」といって可愛がってくれた。いまでもその時の経験は財産だと竹森はいう。

 ただ東京で働きたいとの思いも強く、上京。大手を含めた建設関連企業を転々とし、そこで知り合った4年年上の先輩とともに東京で起業、2003年のことだった。パートナーは大手設計事務所との10年間の契約で北京に住み、仕事を請け、竹森は東京で彼の仕事も受けつつ自らの仕事もこなす日々だった。この経験を通じて海外で仕事をしたいという自分の憧れが育っていった。

建築家・竹森紘臣インタビュー

 そんなある日、海外との建築設計の仕事の経験と英語ができたこともあり、あるベトナムに事務所のある設計会社から仕事を手伝ってほしいとのオファーを受けた。ベトナムに関する基礎知識もなかったが、海外で仕事ができるというだけで心が躍った。その事務所の駐在員が病気となり、その交代要員としてベトナムと日本とを行き来する日々がはじまった。

 2010年にはハノイに外資100%出資の設計会社Worklounge 03- Vietnam Co., Ltd.を設立、拠点を東京からハノイに移した。竹森のハノイでの最初の仕事は国際交流基金ベトナム日本文化交流センター図書室だった。壁全体が天井までブックシェルフとなっているデザインで人目をひく。以後、彼は個人住宅や日本レストラン、薬物依存症更生施設などの設計を手がけ、国際的な賞も受賞している。

 ベトナムでの仕事の難しさ、苦労することは何かとの著者の問いに竹森は即座に「ベトナムの気候だ」と答えた。ベトナム、特に北部は夏暑く、冬は寒い。また一年中湿気に悩まされる。この気候は建築をする上での制約となる。夏涼しく過ごせるようにと開放的な設計をしても、冬寒いからと施主が勝手にドアをとりつけてしまったこともある。

 建物自体を閉じた空間とし、そこへ空調を取り付けて湿気と気温を調整し快適にしようという「解」が現在は一般的だ。断熱材を豊富に使い、電気を消耗して空調する。環境や持続可能性という命題と対立するようになる。またそれはベトナムの限られた予算、資源とも衝突する。

 そこで今彼が目指しているのはそうした自然条件や気候に「立ち向かわない」建築のあり方だ。それは竹森が3歳から父に習った「武道」の教えに通じているという。その武道は相手の力を利用して相手を倒す合気道にも似た教えがあった。その教えに共感する竹森は自然環境に「立ち向かわない」建築のあり方を模索しはじめた。

 最近その「立ち向かわない」建築のあり方が具体化され、それが評価を受けた。彼とパートナーであるティム・ミドルトンとの共同設計となる「ランソン省庁舎」である。建物は東西から日照を受ける。建物のあたる日照に角度をつけることで、エネルギーや水の使用を従来の半分にまで減らすことを実現したビルを提案したのだ。「立ち向かわない」建築設計のユニークさが評価されてコンペでも最高評価を得た。

 「ベトナム人は夏寝苦しく寝不足でも、昼寝で解消してるでしょう。彼らも気候に立ち向かわない生活をしてる、そこからも学んだんです」と笑う竹森。自然環境、気象条件に立ち向かわず、それを逆に操って新しい建築をこのベトナムで作り出そうとしている彼が眩しくもあった。

文=新妻東一

ベトナムでの竹森紘臣

建築家・竹森紘臣

竹森紘臣

経歴
1977年 静岡市出身
2001年 関西大学大学院 都市計画学専攻修士課程修了
2003年 ワークラウンジ03ーを共同設立
2010年 拠点をベトナムの首都ハノイ市に移し、
Worklounge 03-Vietnam(外資100%)を設立
ウェブサイト:https://www.03-x.vn/

さらに詳細な情報を知りたい場合は
下記よりお問い合わせください。


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