ベトナムの技能実習生が日本で金属加工技術を学び工場を立てた物語

ベトナム金属加工工場(SAN-EI VIETNAM社)のオフィス

日本で金属加工を学んだ副社長タットさん

インタビューの経緯

今回5回目となるBizmatchインタビュー。はじめてベトナム人代表者をインタビューすることになった。WONS社代表の二宮氏からは「取材を受けていただけるのは、副社長でベトナム人ですから日本語は不可です」と連絡があったので、ベトナム語による取材を覚悟していた。

日本の金属加工工場で3年間働きながら日本語を覚える

インタビュー当日。ZOOMで接続し、私からベトナム語で自己紹介すると「新妻さん、ベトナム語上手ですね!」となめらかな日本語が返ってくるではないか。WONS社からはタットさんは日本語ができないと伺っていたが、というと「ぼくは3年間日本で働きました。

日本に行く前の6ヶ月間勉強し、日本に滞在中は工場で仕事をしながら日本語を覚えました」とはっきりした日本語で答えた。「日本語で説明するのが難しいとき、ベトナム語ではなしましょう」という。このインタビューは結局最後まで日本語で行なった。

金属加工の技術をひたすら学んだ日々

ベトナム・ホーチミン市の専門学校で金属加工の技術を学ぶ

タットは1988年、ベトナム南部メコンデルタの省、ロンアン省に生まれた。高校卒業後、ホーチミン市の専門学校で金属加工の技術を学んだ。

そして22歳の年に日本へ「出稼ぎ」にでることに決めた。「まだ自分の頭はワルかったから」とタットは謙遜しながら「日本へ行こうと決めた目的は『お金』でした。もちろん家族を助けるためですけど」

なぜ日本へ?と問うと「日本の生活はスゴイですし、当時日本で働けば台湾、韓国よりたくさんお金を稼ぐことができると聞きました。なにより自分の住んでいた村には日本に働きにでたひとが多くいました」とタット。

ロシアン省、ホーチミン市

技能実習制度を利用しての渡航

彼は出稼ぎというが、本来は出稼ぎではなく日本の技能実習制度を利用しての日本渡航だ。

技能実習制度とは「(日本が)先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う『人づくり』に協力することを目的とする」とされている。

厚生労働省「外国人技能実習制度について

建前はそうだ。しかしベトナムの若者は技能よりもまずベトナムより何倍ものお金を稼げる日本に魅力を感じて技能実習生として日本に働きにでる。技能や日本語の習得は二の次にならざるを得ないのが実態だ。

彼は実習生の送り出し機関で日本語を学び、日本から訪れたある企業の面接を受けたが、結果は不合格だった。ただ面接で合格した人の日本語能力が不十分だったのか、理由ははっきりしなかったが、合格者の日本行きが取り消しとなり、かわりにタットの日本行きが決定した。受け入れ企業は大阪市生野区にある「三栄金属製作所」だった。

実習生として3年間、金属加工技術を徹底的に学ぶ

 2010年から3年間、彼は実習生として同社で金属加工技術を学んだ。プレス加工、成型、洗浄工程など金属加工の技術だ。給与は自分の生活費である4、5万円を残し、あとは故郷の両親に送金した。日本での生活はたいへんだったが、仕事を覚える、学ぶことが楽しかった。「なんでも学びたい、そんな気持ちだった」とタットは語る。

 「レストランや結婚式場で働きながらホーチミン市内の専門学校で勉強しました。でも当時は仕事もできないし、お金もなかった。日本で3年間働きながら、技術も学び、お金も稼げるようになったんです」

 日本語を座学で勉強したのは送り出し機関で学んだ6ヶ月間のみだという。あとは研修先の工場で実地に日本語を覚えたタット。「日本語は最初難しいと感じました。日本にいったすぐは日本語でいわれていることが何もわからない、でも心の中で、うん、大丈夫なんとかなるさ、と思っていました。今でも漢字は苦手ですけど」

地元ベトナムで金属加工工場を作ることに

ベトナム金属加工工場(SAN-EI VIETNAM社)の工場風景

突然、社長から呼び出されたタット

3年の研修期間を終え、帰国する直前1ヶ月前になって突然、タットだけ社長に呼び出された。「ベトナム・ロンアン省に当社の海外工場をつくることに決めた。タット、君も工場立ち上げのためにベトナム帰国後も協力して欲しい」と社長はいった。

ベトナムに三栄の金属加工工場ができる、それも自分の故郷、ロンアン省にだ。タットに否はなかった。帰国後、日本人の上司と共に二人で工場を立ち上げた。同省フックロン工業団地に工場は稼働を開始した。2013年のことだ。

責任者としてベトナム金属加工工場を任されることに

以来、彼は工場責任者としてSAN-EI VIETNAM社を切り盛りしてきた。現在、従業員は35名、日本人の上司も技術者もおらず、タット以下すべてベトナム人のみで工場を回している。

ベトナム金属加工工場の従業員

タットに経営上、苦労していることはあるか、と尋ねると少し考えてから「ヒト、ですね」と苦笑いした。「人を雇っても試用期間中にすぐやめてしまって、またほかの人を雇う、この繰り返しですね」

当初、ベトナム国内向け100%だったものが現在、30%は日本向けに輸出もするようになった。主に建材部品、電気アンカーなどの部品を製造している。ただコロナ感染拡大で売上が低迷しているので、ぜひ挽回したいという。

SAN-EI VIETNAM社のベトナムと日本の輸出割合

金属加工工場の設備投資で多くのお客様の要望に応えていきたいと語る

ベトナム金属加工工場(SAN-EI VIETNAM社)の機械設備

タットに将来の夢は?と尋ねると、さらに投資をして工場に新しい機械設備を導入、能力増大してお客様の要望に応えられるようにしたいとの経営者らしい回答だった。

さらに個人的な夢は?と尋ねると「家は社長に借金をして80平米の土地に建坪60平米の家をたてたばかり。あと欲しいのは自動車ですね、ベトナム製VinFast社のクルマが欲しい、クルマが大好きなんですよ」とタットの無邪気な顔がのぞく。

ベトナム金属加工工場の副社長に昇進

今年の4月には晴れて工場長から副社長に昇進した。1週間のうち4日間はビンズオン省やドンナイ省の客先を訪問し、副社長自らトップセールスにも余念がない。朝8時から、平日は遅くなると夜の9時、10時まで働くこともあるという。

「クルマが好き、とかいいましたけど、仕事も大好きなんです。忙しいと身体の調子がいい。ヒマになると身体が悪くなります」と流暢な日本語でさらりといいのけるタット。「もっともっと、やりたいですね」

技能実習制度のめざす「発展途上国の経済発展に貢献する人づくり」。その制度のめざす目的に応え、学び、そして企業に信頼されて仕事を任されているタットの姿にベトナムの未来を見た気がした。

文=新妻東一

三栄ベトナム./副社長グエン・ヴァン・タット

グエン・ヴァン・タット

プロフィール
1988年、ベトナム・ロンアン省生まれ。2007年アンニン高等学校卒、2009年カオタン機械加工専門学校卒、2009年〜2010年日本語を学ぶ、2010年から3年間、大阪・三栄金属製作所にて技能実習。2013年、ロンアン省San-Ei VNに勤務。

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下記よりお問い合わせください。


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