【現代ベトナム・ジェネレーション考】バオカップ、ドイモイ、デジタルネイティブ。20年住んで見えたベトナム人の「世代別リアル」

 私は1962年生まれ。会社に入社したのが1986年、日本のバブル経済の絶頂期だった。そのころの若者、新入社員は「新人類」と呼ばれた。画一的で、無気力、ヲタク気質だといわれた。私も入社時に「麻雀もしないで、学生時代、なにをしていたの?」と笑われたこともある。
 新人類世代は、バブル経済を経験したことがある、最後の世代だ。80年代が日本が絶好調だった頂点で、その後の世代は氷河期世代。就職もままならず、正社員として雇ってもらうことも難しかった。わたしのように年間9ヶ月もの賞与をもらったこともあると彼らに話すと、羨ましがられる。
 私たちの世代は、バブル経済の好景気で、大卒であれば能力はどうであれ、誰でも正社員で雇ってもらえた時代。会社では「働かないオジサン」認定されて、退職する年齢に達してしまった。

日本の「バブル世代」が見た、ベトナム人の多様な処世術

 ベトナムにもジェネレーション・ギャップがある。年齢に応じて、生まれ育った環境が大きく異なるからだ。ベトナムに20年住んで働いてきたことで、見えてきたベトナム人は、その世代によってかなり考え方も人生の処し方も違うように思える。
 ただ世代の違いよりも、個人個人による違いの方が大きいのが常、私のような外国人にとっては「ベトナム人」に共通するなにかと、「日本人」のもつものの見方、考え方の方との違いの方が、大きいだろう。
 ただ、それも生育するなかでの、それぞれの文化的な違いがそうさせているのであって、人間の本質的な部分がそうかわるわけでもない。
 世代論は、ただその年代に生きた人間であれば、経てきたであろう、ある共通する歴史を背負っているので、相手を理解する上では必要な情報だともいえる。
 わたしが、ベトナム、わけてもハノイに住んで、働いて、生活してきた中で、ベトナム人とともに暮らしてきて、わかってきた世代別の特徴みたいなものをまとめてみた。

「レンガ」が順番待ちの証――最貧国時代を生き抜いたバオカップ(配給)世代

 私の会社は旅行会社を経営している。15年前、前職の会社でともに働いていたビジネスパートナーとともに起業した。彼女は1970年代にベトナム北部のハイフォン市に生まれた。まさに50歳代の代表だ。僕は1970年代生まれの世代を勝手に「バオカップ世代」と名付けた。
 「バオカップ」とは、漢字であらわせば「配給」の意味だ。戦時経済で窮乏していた時代、主食のコメをはじめ、ありとあらゆる商品はみな配給手帳にもとづいて定期的に国民に分配されていた。それが戦後も続いていたのだ。
 ベトナムは1973年のパリ協定で、米軍を南ベトナムから追い出し、1975年には南部ベトナムを北ベトナム軍がホーチミン作戦によって「解放」した。その後、急速な南部における社会主義的政策によって経済的に困窮した人々がベトナムを小舟で逃げ出すボートピープル、難民の多数の発生と、カンボジア侵攻、中越国境紛争など、米国をはじめとする西側諸国からのエンバーゴ(禁輸政策)によって、経済的な発展が阻害された。一方で配給によって主食であるコメにはじまり、肉や野菜といった食料まで国が国民に分配する戦時の社会主義的な制度が続いていたために経済困難は増幅された。
 現在の50歳代の「バオカップ」世代の人々は、世界最貧国のひとつであったベトナムの経済の悲惨さを経験している。
 配給でコメや肉などを購入する配給所に列をつくって並ぶのだが、その列を離れるときにはレンガをおいておいた、地方では食べるものがなくて、海に漂着した魚の死骸を早朝に海辺を歩いて拾って食べた、といった飢餓寸前の経験をした人たちもいる。
 この世代の成績優秀者はみなロシア語を習い、ソ連や東欧諸国に留学した。当時、ベトナムにとって、西側との交流は絶たれ、学問を学ぶべき先進国といえば、同じ社会主義国であるソ連と東欧諸国であった。私のビジネスパートナーもやはりロシア語を中学高校で勉強した。
 Forbes500にも名前が載るようなミリオネアとなったビングループの総帥、ファム・ニャット・ブオン、ベトジェットの社長兼CEO、グエン・ティ・フォン・タオ、不動産ディベロッパー・コングロマリットのサングループの会長、レー・ベト・ラムも皆ソ連時代にロシアに留学、ソ連崩壊後のロシアで起業して財をなし、市場経済化の波にのってベトナムに錦を飾ったエリートたちだ。
 私のベトナム人ビジネスパートナーは、ドイモイ政策の中でベトナムがソ連一辺倒の外交から西側を含む全方位外交に転換するなかで、先生のすすめもあって、高校卒業後はロシア語ではなく、日本語を学んだ。卒業後は日系の貿易商社に就職して働いた。
 50歳代の経済的な成功者は、ベトナムが計画経済から市場経済化し、ソ連ブロック一辺倒の外交から西側諸国との国交正常化、全方位外交への転換を果たす牽引車となってきたという自負がある。
 同時に市場経済化と全方位外交による恩恵も得ているので、バオカップ時代に対する一定の懐かしさを感じつつも、時代が後戻りすることについては批判的な面ももっている。

右肩上がりの成長を信じて。市場開放の波に乗る「8X・9X」ドイモイ世代

 80〜90年代生まれは、ベトナムでは「8X」「9X」世代とよぶ。8X、9Xとは80年代、90年代生まれ、という意味だ。僕は勝手に「ドイモイ世代」と称している。
 ドイモイとは、ベトナム語で「新しく変更する」「刷新」「革新」という意味の言葉だ。
今からちょうど40年前の第6回ベトナム共産党党大会で発表された政策が「ドイモイ政策」と呼ばれている。
 ドイモイ政策はそれまでのソ連型の社会主義的な計画経済をやめ、ベトナムを市場経済化すると決めた。外交的にもソ連・東欧諸国とのみ関係をもつのではなく、米国や日本、西側諸国とも良好な関係をもつようになった。
 市場経済化では、まず農民に自分でつくった農産物を自由に販売してよろしいとした。それまでは配給制度にもとづいて国家が農産物の国民への分配に介入していたのをやめたのだ。土地の所有権は全国民的所有としながらも、土地の使用権の売買は自由化した。民間資本の起業も認め、国営企業は株式企業化、外資も優遇策をもうけて誘致して、投資を呼び込んだ。
 外交的にも中国、アセアン諸国、そして米国をはじめとする西側諸国とも関係改善をすすめた。
 そのことにより、ベトナムの改革、開放がすすみ、経済も著しく発展した。80、90年代生まれの世代は目覚ましく発展する経済の中で幼少期と青年期を過ごしている。
 だから将来については非常に楽観的だ。経済も土地や株の価格も今後も右肩上がりに上昇するとの楽観的な見方をしている。
 私の妻も80年代生まれの「ドイモイ世代」。南部の貧しい農家の生まれだったが、いまや自分が親から相続した土地は、将来の都市再開発、道路拡幅のためにこれからも上昇するとばかりに不動産売買に忙しい。
 バブル経済とその後の経済の停滞を知る日本の「バブル世代」としては、妻の「投資」はあぶなくてみてられない。いずれ土地の価格などいつかは暴落するのだ、そういっても聞く耳もたず、私は黙って彼女を見守っている。

平和とデジタルを謳歌する。戦争すらエンタメとして消費する「スマホ世代」の台頭

 2000年代生まれは、ベトナムでも「デジタルネイティブ」の世代だ。多くのベトナム人も彼らを「スマホ世代」だと思っている。生まれた頃は携帯電話が当たり前のうえに、長じてはタブレットやスマートフォンで、動画や画像を見るだけでなく、お絵描きや勉強にも使用している。紙に印刷された教科書、鉛筆やボールペンで板書を書きとるのがお勉強だったわれわれの時代と異なり、パソコンやタブレット、スマホの画面で文字通りスマートにお勉強をするのも、アニメをみるのも、デジタル処理された画面上ですべてを行う。
 彼らはデジタル機器を学んで覚えたわけでなく、子どもの時から目の前にあったから、それを使いこなしている。
 そうしたデジタル機器は登場したばかりのころは高価なものだったが、現在は価格も安くなったので、ベトナムの地方や山岳地方に行っても、その世代の子どもたちは同じようにタブレットやスマホを楽しんでいる。
 都会に住んでいるスマホ世代は身の回りに高層ビル、ショッピングセンターが次々とオープンしているのをみている。テレビはみない。かわりにNetflixやウェブサイトでアニメや音楽を楽しんでいる。
 もちろん平和な時代に生まれ、育っているので、政治的な危機感はもっていない。アセアン各国やアジアでのサッカー大会で、ベトナムのナショナルチームが優勝すれば、「金星紅旗」、ベトナム社会主義共和国の旗を掲げて、バイクにのって町中を走り回る。太鼓や鍋釜を打ち鳴らす。ナショナリズムを屈託なく表現する。そこには民族が南北で国が別れて戦わざるを得なかった半世紀以上昔のことはなかったかのようだ。
 環境問題に対する関心は高い。また、糖分が多く含まれている炭酸飲料などは飲まない。タバコはいざ知らず、ビールや酒も口にしない若者も多い。
 一方で、タトゥーをいれて、シーシャや電子タバコ、薬物をファッションで口にする若者もいる。
 レトロブームもある。中古のCDプレイヤー、ラジオカセットでテープやCDを再生して音楽を聴くのが、彼らにとって新しい。フィルムカメラや古いデジカメで撮影した画像が「エモい」という感覚はベトナムの若い人にも共通だ。
 アニメも、以前は「ドラえもん」「名探偵コナン」「ワンピース」といった旧い日本のアニメが流行ったが、現在は「鬼滅の刃」「呪術廻戦」「チェンソーマン」といった最新の、日本で今流行っているアニメがみたいらしい。
 アニメは日本だが、音楽や映画となると韓国のK-POPやドラマが人気だ。面白い、イケてるから、彼らは見ているのであって、日本だから、韓国だから、ということはない。
 中国のゲーム「原神」のヒットは、中国製だということはあまり意識されていない。日本のRPGのデザインに対するリスペクトがベースにあるゲームだ。中国製だからということで彼らは忌避したりはしないのだ。
 ベトナム戦争を描いた「Mưa Đỏ(赤い雨)」がヒットして、800万人動員、日本円にして40億円を超える興行収入を得、ベトナム史上一番となった。これも2000年代生まれの「スマホ世代」の支持があってこその大ヒットだった。祖父母が戦った戦争はすでに戦争映画のエンタメとして消費される時代になったということを意味している。

語られざる「もう一つの戦場」。50〜60年代生まれが背負う隣国との記憶

 最後に私と同世代の高齢者、1950年代〜1960年代生まれについて紹介しよう。彼らはベトナム戦争中に生まれ、空爆や戦火に怯えた世代だ。しかしベトナム戦争に兵士として参加してはいない。疎開で苦労した話や、空爆が毎日のようにあったが、それが日常だったので、子ども心に怖いと思ったことはない、と語る同世代のベトナム人の友人もいる。戦争世代といえる。
 むしろ、彼らにとって参加した、あるいは同時代の戦争は、北部なら1970年代末の中越国境紛争や、南部ならカンボジアとの戦争、西南戦争なのだ。
 私の友人は10代でカンボジアの戦争に参戦した。彼は「戦争で死ぬのは鉄砲のたまにあたって死ぬのではない、火が焚けないので、仕方なく河の水を飲み、お腹をこわして死ぬんだよ」と教えてくれた。戦友がそうして何人も若くして死んでいくのをみたという。彼は幸いにも戦争を生き抜いた。
 私にとってみれば、ベトナム戦争を語る言葉は私よりずっと年上の世代だった。しかし、同世代が語る戦争はショックだった。
 今のベトナム共産党や政府の指導者たちは1950年代末か60年代のはじめに生まれた世代だ。彼らが成人して遭遇したたたかいはベトナム戦争ではなく、中国やカンボジア、国境を接する隣国との戦いにあったことに注意したい。
 ただ、この二つのたたかいは、現在の両国との関係は大きく改善されているために、あまり多く語られることはない。
 ベトナムは、第二次世界大戦後フランスの植民地からの独立戦争からはじまって、アメリカ、中国といった大国とのたたかいを経ているため、その世代には「戦争」と、体制の大きな転換、そして、それによる経済的な困難と、その後の急成長といった目まぐるしい時代を経ている。それゆえ世代間がそれぞれに経てきた生活レベルのギャップも大きい。
 ただどの時代にあってもたくましく生きる人々の姿があるのは頼もしい。

文=新妻東一

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新妻東一Sanshin Vietnam JSC マネージングダイレクター

投稿者プロフィール

1962年東京出身。東京外国語大学ベトナム語科卒。貿易商社勤務、繊維製品輸入を担当。2004年ベトナム駐在。2010年テレビ撮影コーディネートと旅行業で起業。

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