マナー、サービスと担々麺で、ベトナムをハッピーに 01-wan- Tantan Ramen/松尾英子さん
- 2025/08/18
- 日系企業インタビュー
今回のインタビュイーは、祇園、銀座でのラウンジ勤務を経て、宇都宮、ハノイで長年「美人ママ」として、活躍されてきた松尾英子さん。ラウンジで培ってきた「お客様が主役」の場を、多くのベトナム人にも体験して欲しいと、2023年に担々麺のお店「01-wan- Tantan Ramen」をオープンしました。今、ベトナムで日本式のマナーやサービスが必要な理由を、ご自身の経験談を交えながら、お話頂きました。

目次
1.宇都宮からベトナムへ
土佐谷:まずはベトナムに来たきっかけを教えて下さい。
松尾:それまで宇都宮で会員制のラウンジを7年ほどやっていました。30代後半に差しかかりつつありましたが、仕事は順調でした。ただ当時、私は結婚するつもりがなく、一生独り身で生きていくと考えた時に、1店舗だけやっていても、老後が大変と漠然とした不安がありました。一方、飲み屋業界は”人の商売”ですので、単純に日本でお店を増やすとか、移転するだけでは難しい、とも思っていました。そんな時、大学時代、短期留学で住んでいた北京がとても居心地がよく、自分らしくいられたなぁ、という記憶が蘇り、アジアに出るということも選択肢の一つとして考え始めました。物価が安く、宗教上のお酒の縛りもなく、文化的にも日本に近いところを探しに、視察に出かけました。プノンペンを第1候補として、そのついでとハノイに寄りました。実際に来てみると、日本人のビジネスマンの数が圧倒的に多く、2015年当時、日系ラウンジはありませんでした。「今すぐここに来れば、勝負ができる!」と感じ、半年後には、宇都宮のお店を当時働いていたスタッフに譲り、ハノイに来ました。
土佐谷:好調のお店を人に譲って、ゼロから海外でスタートするとは、大きな決断でしたね。
松尾:当時30代でしたから、万が一失敗しても、また戻ってこれるかな、と(笑)。実はホーチミンとハノイでも迷いました。ホーチミンの方が日本人も多く、ホーチミンにも日系ラウンジはありませんでしたので、お誘いも頂きました。最終的には、ベトナム人の女性を比べて決めました。ハノイの女性は性格が堅く、ホーチミンの女性はオープンでサービス精神も旺盛。視察中、日本人男性に同行して頂いたのですが、その男性に対する市場のおばちゃんたちのボディタッチ攻撃がすごかったんです(笑)。それを見て、市場でこれだったら、飲み屋さんだとどうなっちゃうのかな、と心配になりました。私のやりたいお店の形態では、ちょっと堅い子たちと一緒にやる方が向いていると思い、ハノイに決めました。

2.天職との出会いーホステスは黒子、主役はお客様
土佐谷:英子さんの学生時代は、水商売に対し、まだ偏見を持っていた方も多かったと思います。バイトでラウンジを選んだのはなぜですか?
松尾:友達に誘われたことがきっかけです。実際に行ってみると、世間一般に思われていた、“暗い”とか“いやらしい”という感じがない、働いている方も礼儀正しい、祇園のきちんとしたお店でした。お客様も広くビジネスをされている方や成功されている方が多く、人間的に余裕があり、尊敬できる面も多くて。お客様や先輩からいろいろ吸収して、私も成功したい、と思うようになりました。
土佐谷:若い時から多くの経営者、成功者にお会いしたことが、将来自分も何かやってみたいと思うモチベーションに繋がったのでしょうか?
松尾:そう思います。大学卒業後、少しだけOLを経験しました。毎日、パソコンとFAXと電話にしか向き合わない日々がものすごいストレスで、具合が悪くなったんです。そんな時、友人から銀座のママさんがスタッフを募集しているという話を聞きました。そうしたら、ママさんが私と同じ栃木出身で、体験で入ったら、自分が生き生きしているのがわかりました。「やっぱり私の居場所はここなんだ!」とOLを辞めて、ラウンジに戻りました。
土佐谷:銀座のラウンジは、競争が激しいそうですが、ご苦労も多かったのではないでしょうか?
松尾:その後、引き抜きで入ったお店は大変でした。ノルマ、人間関係もすごかったです。ドラマ『黒革の手帖』を観るような感覚で、「あっ、テレビで観るやつ!」とワクワクしながら、周囲を見ていました(笑)。ノルマは大変でしたが、なんとかこなしていました。しかし、将来を考えた時、銀座では大成しないと悟り、栃木に戻りました。
土佐谷:銀座でのご経験は、自信になったのではありませんか?
松尾:お客様に対する接し方、飲み屋業界は”夜の蝶”で女性が煌びやかにして、華やかにする世界というイメージがありますが、最初のミニクラブのママさんから「私たちは黒子。主役はあくまでお客様。ここで繰り広げられることが、お客様同士のビジネスに繋がるようにサポートするのが本当の役割よ。」と教えて頂きました。
土佐谷:宇都宮の自分のお店を手放す未練はありませんでしたか?
松尾:他の店舗の売上やマネジメントに気掛かりがある状態で、ベトナムでお店をやっても集中できないし、どこか逃げ道があると全力投球できないと思って、逃げ道を絶とうと、敢えて自分を追い込んだ感じはありました。幸いベトナムでの生活は楽しく、他に競合がない状態でオープンしたので、おかげさまで最初から常連さんがついて下さいました。

3.「ここは、アラレちゃんパブか?」〜ハノイ初の日本式ラウンジ
土佐谷:日本とハノイでお店の違いはありますか?
松尾:栃木だとそのお店の色にあったお客様が集まるので、客層が狭まる感じでした。ハノイは競合店がなかったので、今まで以上に様々なタイプのお客様にお会いする機会が増えました。また日本にいたら、一生出会えないような、日本の大手上場企業の社長さんとお会いできたことも貴重な体験でした。
土佐谷:ハノイでホステスさんはどうやって募集されていましたか?
松尾:ベトナム人がメインでしたので、最初はFacebookや日本語学科があるベトナムの大学の掲示板で募集をしていました。ですので、初めは学生ばかりです。最初はお客様に、「ここは(Dr.スランプ)アラレちゃんパブか?」と言われるほど、黒縁の大きいメガネを掛け、化粧っけがない子ばかり。全く華やかなさがありませんでした(笑)。また性格も堅い子ばかりで、お客様の隣には座りたくない、と言う子や、面接で「私、いやらしいことはできません」と言われたり。それまでハノイに日本式のラウンジがなかったので、理解してもらうには時間が掛かりました。また私のお店にはカラオケがなかったので、お客様と2〜3時間お話をしなくてはいけません。ベトナム人にとっては、ハードな業種だったかもしれませんね。オープンして3ヶ月くらい経ってから、日本から戻ったばかりのベトナム人女性が入りました。彼女は博多に7年くらい住んでいて、コミュニケーション能力が非常に高い子でした。彼女は日本人でもこれだけ優秀なホステスを見たことがないくらいの”コミュニケーション能力お化け”。彼女が入って、お店の雰囲気もすごく変わりました。やはりベトナム語でスタッフに教育する、自分の体験を伝えられるというのは、やはり強いと感じました。

4.ベトナム人男性との運命的な出会い
土佐谷:ご主人のミンさんに初めて出会ったのは、いつですか?
松尾:2020年、日本の80年代の歌をテーマにしたバーがあるというので、興味半分で行ってみました。その時、手伝い初日のミンに会ったのが最初です。
土佐谷:運命的な出会い! そして翌年2021年にご結婚され、お二人でアスカサービスを設立する訳ですね。
松尾:今、アスカサービスが行なっている、マナー指導やサービスのトレーニングは、私がずっとやりたいと思っていたことです。しかし、体はひとつしかないですし、ラウンジがあるので、スタートできるのはまだ先、と思っていました。また、始めるならベトナム人向けにやると決めていたものの、言葉の問題もあり、難しいとも感じていました。ミンと知り合ったのは、ちょうどコロナ禍で、国の方針でラウンジを閉業せざるを得ない状態が続いていました。収入がない間、二人でできるビジネスはないかと思いついたのが、私がずっとやりたかったサービスマナーに関する仕事でした。これであればオンラインでも可能です。
土佐谷:逆境がチャンスになった訳ですね。そもそも、マナー指導やサービスのトレーニングが、ベトナムで必要だと思ったのはなぜですか?
松尾:私は、お節介なくらい親切にしてくれるベトナム人が大好きです。でも普段あんなに親切でいい感じの人たちが、レストランやお店で働いている時は、「なんでこんなに変わっちゃうの?」というくらい違います。色々理由があるのでしょうが、嫌々仕事をしていたら、お客さんもイライラするし、お互い不幸じゃないかと。魅力的なベトナムで、私もずっと住みたいと思っている国なのに、観光客が不快なサービスを受けて、ベトナムに悪い印象を持ってしまったら、もったいないなと。私自身、マナーとサービスは「相手の立場に立って考える」という考え方がベースになっていると思っています。相手の立場に立つ、マナーとサービスの両方のレベルアップが不可欠だと思いました。
土佐谷:マナーとサービスのレベルを上げることで、何が変わると思いましたか?
松尾:スタッフが良いサービスを提供したら、お客様から喜びの声だったり、感謝の言葉が返ってきます。そうすれば、提供した側もハッピーになれる、相乗効果ですね。社会全体がハッピーになる、それが理想なのですが、ベトナムでは日本に比べ、まだそういった良いサービスを受ける経験が少ないのかな、とも感じていました。経験をしたことがないことを実践することはできないので、そういう体験ができる場所を作るという目的で、ラーメン屋を始めました。

5.ベトナムにおける、担々麺とサービスの可能性
土佐谷:ラウンジは会員制、ラーメン屋は大衆向け。同じサービス業でも対象が異なります。なぜラーメン屋だったのでしょうか?
松尾:実は最初は、ラウンジのあったビルの1階が空いて、何かやらないか?と話を持ちかけられた時、ベトナム人向けに日本酒バーをやる予定でした。ただ、考えてみると夜だけの営業はもったいないと思い始め、簡単なオペレーションで昼だけ営業できる飲食店として、知人から担々麺のフランチャイズを紹介して頂きました。昼は担々麺、夜は日本酒。昼はオペレーションがシンプルな分、サービスに集中できるだろうと、すぐに始めました。
土佐谷:日本人街でのオープン、当初担々麺のメインターゲットは日本人、ベトナム人のどちらだったのでしょうか?
松尾:日本人に認めてもらいたい、とは思いましたが、初めから外国人とベトナム人向けにマーケティングしました。お店のSNSも日本語なしで、英語のみです。
土佐谷:その後ラウンジは、辞められました。続けようと思えば続けられる環境だったと思います。なぜ継続しなかったのですか?
松尾:私も40を過ぎて、体がしんどくなってきたというのが本音です。ラーメン屋とラウンジの同時移転も考えましたが、自分がお店に入らなくてはいけない、お客様とお酒を飲まなくてはいけないというプレッシャーが辛いなと。結婚して気持ちの変化もありました。もう1つは担々麺が思いの外、バズったことです。担々麺でブランド拡大ができるなと。フランチャイズの可能性を考えた時に、ベトナムの方たちに知ってもらう、ブランド力を上げることを優先し、そこに投資しました。
土佐谷:ベトナムの飲食店でよくあるのが、この前は美味しかったけど、次に行ったら味が変わっていたという問題。スタッフ教育はどのように行なっていますか?
松尾:ラウンジの子たちは、お店に入る前にある程度”できる”ことが前提で、あとは個人のポテンシャルに頼る部分が大きかったです。私が常に現場にいて、逐一指導していました。一方、ラーメン屋にバイトに来る子は、普通の子。そのため、とにかくマニュアルを徹底しました。私自身もベトナムではどんな有名店でも品質が安定しないのは経験していたので、早くからマニュアル作りに取り組みました。ミンとは良いサービスを提供するために「お客様にNOと言わない」「目指すは3つ星のラーメン屋」と話をしていたので、オープン当初は毎日お店に入り、細かいところまで全てマニュアル化していきました。
土佐谷:マニュアルは文書化しているのですか?
松尾:文書と動画にしています。
土佐谷:新しく入ったスタッフさんには、新人教育を受けさせるのは、ベトナムでは珍しいことですね。レシピはお店の命ですが、知っているのは英子さんとミンさんだけですか?
松尾:スープの“かえし”は、私たち2人だけしか知りません。その他は、スタッフでも作れます。ベトナムは育てたスタッフが、レシピを丸ごと盗んでしまう話をよく耳にします。日本のシェフから頂いたレシピですので、それを簡単にベトナムで広げてしまうのは良くないので、そのようにしています。
土佐谷:マニュアルはフランチャイズ店と共有し、教育もマストですか?
松尾:はい。“Wan Tantan Ramen”というブランドは、料理とサービスがセットと考えています。

6.起業、結婚、そしてベトナムへの思い
土佐谷:ビジネスをする中で、何度も旦那さんのお名前が出てきています。ご結婚されて自分自身変わった、と思うことはありますか?
松尾:ベトナムに対する理解は圧倒的に深まりました。ミンや彼の家族との関わりの中で、ベトナム人の人付き合いの仕方や考え方は知ることができたので、それをラーメン屋の接客やマナー指導の教え方に活かすところで、すごくためになっています。
土佐谷:英子さんにとって、ベトナムはどんなところですか?
松尾:仕事でいえば、チャンスは圧倒的にあるな、と思います。日本では全ての業種が成熟しつくしていて、競争も激しい一方、ベトナムではまだ伸び代がある業種も多いです。サービス業でもまだまだ差別化できるチャンスがまだまだあります。またちょっと失敗したくらいでは、誰も気にしない。どんどんトライして、たまに失敗してもまたトライさせてくれる。そんなベトナムに懐の深さを感じます。
文=土佐谷 由美

<プロフィール>
松尾 英子(Matsuo Eiko)
栃木県出身
01 -wan- Tantan Ramen 共同創業者
アスカサービス 講師
大学時代にラウンジでアルバイト経験
大学卒業後、OL勤務を経て、銀座のラウンジに勤務
2009年 宇都宮で会員制ラウンジ「花れん」を開業
2016年 ハノイで会員制ラウンジ「藤や」を開業
2021年 ベトナム人男性と結婚後、マナー指導とサービスのトレーニングを行う「アスカサービス」を設立
2023年 日本人街に「01 -wan- Tantan Ramen」を開業、翌年旧市街に移転
好きなこと:茶道、食器集め、愛犬との時間、夫と一緒にPokenmon Go、朝のゴミ拾い、犬の散歩など。ちなみに愛犬の名前は「ワン(Wan)ちゃん」(家に迎えたのが11月11日のため)。