2025年9月2日ベトナム建国80周年記念イベント
- 2025/09/06
町中が赤く染まった。この表現がすべてを物語っていると言っても過言ではなかった、今年の9月2日ベトナム建国記念日。80年の節目の年ということもあり、ハノイは早くから祝賀ムード。翌日の日本の新聞では、記念イベントが行われたことが小さく紹介されるのみであったが、現地での盛大な建国イベントで見たベトナム人の愛国心とイベントにかける熱量は、並々ならぬものがあった。
目次
1.本番さながら!4回にも及ぶリハーサル〜イベント前日まで
その“異変”に気付いたのは、8月15日頃からだろうか。日に日にベトナム国旗の数や、金星紅旗のアオザイやTシャツを身にまとい、国旗や特設のモニュメント前で写真を撮る人たちで増えてくる。私自身、3回目の建国記念日だが、明らかにこれまでとは違っていた。

町中には金星紅旗のTシャツやアオザイを来た人たちで溢れていた。

旧市街のハンマー通りでは、様々な金星紅旗グッズが並び、ベトナム人がこぞって購入する姿が見られた。
8月21日からはリハーサルのため、4回の大規模な交通規制が敷かれた。イベントの公式ウェブサイトで情報が発信されるものの、前日や直前になって規制時間が変わり、慌てて在宅勤務に切り替えた企業も多かった。3回目に当たる27日の規制では、突然のスケジュール前倒しに加え、台風による冠水も重なり、ハノイ市街とノイバイ空港を結ぶ橋は大渋滞、車が捕まえらない、ホテル前まで車が入れず、規制エリア外まで歩いて行かなくてはならない、など、詳細を知らずにこの日にハノイにいた観光客や出張者は状況を把握できず、さぞかし困ったことだろう。
私自身、2回リハーサルを観に行った。毎回多くの観衆が集まり、どこからともなく始まるホー・チ・ミンを讃える歌の大合唱。小隊が来るたびに、スーパースターが登場したような大歓声と大きな拍手。本番さながらの様子に、1度でもリハーサルを観に行った日本人からは、今からこんなに盛り上がって、本番はどうなることやらと、不安混じりの声も多く聞かれた。

リハーサルにも関わらず、沿道には朝早くから席取りする人たちも。

リハーサルには、毎回多くの人が集まった。
ロッテセンター前にて。

隊列が通ると本番さながらの大歓声と拍手が湧き起こる。チャンティエン通りにて。
2日前からは、少しでもいい場所でパレードを観ようという人たちで、祝賀式典が開かれるバーディン広場付近の沿道で場所取りをする人たちの姿が、ちらほら見られるようになった。また幹線道路に設置された特大モニターでは、大音量で建国イベント関連のテレビ番組が放映されていた。
前日の夕方には、雨にもかかわらず、多くの人たちが沿道で雨具姿で耐え忍んでいた。ベトナム人の辛抱強さと周年イベントへの想いがひしひしと伝わってきた。

イベント2日前。ハンダイスタジアム付近にて。

キンマー通りにて。

雨が降る中、沿道は翌日のパレードを待つ人たちで埋め尽くされた。ホアンキエム湖_ユニクロ付近にて。

チャンティエン通りにて。
パレード以外にも、建国記念に合わせ、「独立・自由・幸福の80年の歩み」をテーマにした展覧会が開催された。28の中央省庁、全国34省・市の地方政府、110社余りの企業が、計230余りのブースを出展し、実際に行った人からは、万博のようだった、との感想も聞かれた。私の知り合いのベトナム人も子ども連れで展示会に行った様子をSNSに投稿していたが、日本人から見ると、国の防衛や軍事関連に力を入れている様子が見て受け取れた。
2.40年に1度の大イベント〜イベント当日
祝賀式典の開始は6:30からにも関わらず、早朝からパレード会場に向かう人たちでごった返した。
会場近くまでバイクで移動しようと、交通規制が敷かれていない道路には、多くの車とバイクで押し寄せ、身動きができない状態に。私もなんとかGrabを拾い、目的地へ到着。

5:30頃、オペラハウス前。パレードが行われる道路は朝から大勢の人が詰め寄せた。

6:00頃、規制されていない道路ではバイクや車で会場に移動する人で大渋滞。
6:00パーディン広場にて、祝賀式典が始まった。パレードのために沿道に集まった人たちも、スマホで中継を観ている。日本人で数少ない祝賀式典に参加された方のお話では、トー・ラム書記長が建国100周年にあたる2045年までにベトナムを強い国、繁栄の国、幸福の国にするという力強いスピーチがあったものの、日本人が共産圏の国に対して描きがちな、軍事色が強く民衆を煽るような式典ではなく、終始穏やかなムードだったようだ。またメディアではあまり報じられていないが、書記長のスピーチの中で、過去を振り返り、祖国のために命を落とした兵士のことは忘れない、語っていたことが印象に残ったとも語ってくれた。
軍事パレードは、約4万人が参加したと報じられ、海外からもベトナムの独立や統一を支援したロシア、中国、ラオス、カンボジアの4カ国がベトナムの要請により参加した。またカインホア省の近くの海域では、初の海上パレードも行われ、ネット中継も行われた。
私自身当日は、西湖北側で機動隊や警察車両のパレードを観ていた。すでにリハーサルで2度、兵士の行進姿を観ていたこともあったが、前日の下見でのあまりの人の多さに、半ば諦めて、空いていそうな場所を選んだというのが本音である。
8:00過ぎ。先頭の車列が到着。ミサイルを乗せた輸送車など、機動隊のパレードは物々しい印象にもかかわらず、乗車している隊員たちの表情は誇らしげかつ穏やかで、沿道の観客たちに笑顔で手を振る姿がとても印象的だった。私がいたエリアは特に混乱もなく、8:30にはパレードが終了し、その後は食事処やカフェ、ホーチミン廟や国旗掲揚台、町中の映えスポットが多くの人で賑わった。

沿道からはリハーサル以上の大歓声と拍手。イエンフー通りにて。

観客の大声援や拍手に笑顔で応える隊員たち。
また記念式典に参加したと思われる人たちや軍人らが町中を歩いていると、人々が近寄って、一緒に写真撮影している光景も多く見られた。私たち日本人からすると、見ず知らずの軍人ら(日本であれば自衛官)に声を掛け、一緒に記念撮影している姿は、何とも不思議な光景である。自らも若い時に兵役を経験し、国のために働く人たちに対し、誇りを持っているベトナム人にとっては、軍人は身近な存在なのかもしれない。
21:00からは1日を締めくくる花火。市内5つの会場で一斉に打ち上げられた。

式典やパレード終了後は、軍人らと一緒に記念撮影をする姿も。

21:00からは市内5ヶ所で花火が打ち上げられた。
10年前の70周年は、どのようなものだったのだろう。
生まれも育ちもハノイの大学生に聞いたところ、盛大に祝った記憶はないとのことだった。また当時、ナムディン省の高校生だったアラサー女性も、地元で花火をやっていたのを観に行ったくらい、と2人共、今回の祝賀ムードにはびっくりするほど。今年の建国記念イベントは、ベトナム人にとっても特別なものだったようだ。
ハノイ以外の都市の建国記念は、どうだったのだろう。
ホーチミン、ハイフォンに住んでいる友人、知人に聞いたところ、あまり盛り上がっていないとのことだった。両市とも今年の春に南部開放50年とハイフォン開放記念70年を祝ったばかりで、今回は盛大な式典は行われず、花火のみ。SNS等でハノイの賑わいを知って、静かすぎるのでは?と思うほどだったという。
3.ベトナム人にとって建国記念日とは?
何を持って建国とするのかは国によって異なる。日本の建国記念日は、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日に基づいている。しかし、多くの日本人によっては、祝日のひとつ、くらいの認識しか持っておらず、建国に関する話など学校で教わった記憶がない人も多いのではないだろうか。恥ずかしながら、私も日本の建国記念日はいつ?と聞かれて、一瞬返答に戸惑ってしまうほどだ。
ベトナムでは、9月2日の建国記念日と4月30日の南部解放記念日は国民にとって重要な日で、幼稚園ですでに建国にまつわる知識や教育を受ける。ホー・チ・ミンについても同様、幼い頃からその功績を教えられ、テストまであるそう。ベトナム人の知人は、「自分のおじいさんより、ホーおじさん(ホー・チ・ミンの愛称)のことの方が知っている」と笑って言う。ベトナム人にとって、みんなのベトナム、みんなのホーおじさんなのだ。この日は家族みんなで過ごすなどことが一般的とのことだが、学校では、祝日前に歌やダンスを披露する文化祭的なイベントがあり、全校生徒でお祝いをするそうだ。

町の至る所に周年記念のモニュメントやスローガンが。

いたるところが映えスポットのハノイ。
4.建国80周年が及ぼした経済効果
公表されているものを下記にまとめてみた。

イベントに関する国家予算、記念式典の運営費については未発表。またハノイ市以外の各地の花火の打ち上げ費用や関連グッズの売上予測なども出ている資料はないため、全体の規模感を知るのは難しい。
今回、私個人も関連グッズ購入に30万VND(約1,700円)程度を使ったが、仮に国民の7割(約7,000万人)が、同額の購入した場合、約1,190億円の売上になる。政府が国民への祝金に支払った額の倍の金額が、国の記念イベントのために還元されたと考えれば、一定の経済効果はあったと考えても良いのではないだろうか。

ホアンキエム湖の売店。

ハンマー通り。
5.日本の敗戦とベトナムの建国
1945年9月2日にバーディン広場でホー・チ・ミン主席が大衆(同胞)の前で、独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国が誕生した。この「独立」が中国でもフランスでもなく、日本からであったことは、あまり知られていない。
事実、独立宣言の中にも、
“Sự thật là dân ta lấy lại nước Việt Nam từ tay Nhật, chứ không phải từ tay Pháp.”
(事実、我々はフランスからではなく、日本からベトナムを取り戻したのです。)
の一文がある。
また、ベトナム軍事歴史博物館の展示にも、日本が連合国軍に降伏をしたことを機に、ホー・チ・ミン率いるインドシナ共産党が全国で蜂起し、ベトナム民主共和国が誕生したと説明されている。
こういった背景を考えると、金星紅旗グッズを身にまとった日本人が、ベトナム人と一緒に笑顔で写真を撮り、共に建国を祝っているのは、なんとも不思議な光景である。
日本としては、すでに解決された問題にはなっているが、未だにしこりが残る国があるのも事実。常に前を向き、過去は振り返らない、というベトナム人の考え方が、今日の日越の良好な関係を築けている理由のひとつだろう。

ベトナム歴史軍事博物館にて。

ベトナム歴史軍事博物館にて。
6.明るい未来のための愛国心
今回の一連のイベントを通して、終始ベトナム人が羨ましいと感じた。幼い頃から国は大切、自由や独立は大切、と教育されている点で日本とは異なる環境にあるものの、愛国心の元、国民が一致団結し、イベントを成功させるという経験は、日本では得難いものである。日本では愛国心という言葉が、時に危ない思想として捉えられることもあるが、ベトナムで愛国心とは、単に国が好き、というだけでなく、未来への希望を感じさせるものだと思う。ベトナム人の思考の特徴として、将来は明るいことが前提であることが関係しているが、日本人にとっての将来は明るくもなるし、暗くもなるもの。現在のような閉塞的な時代では、将来に対し漠然とした不安しか生まれない、というのが、日本とベトナムの大きな違いである。また歴史的に見て他国との戦いと支配下から勝ち取った背景から、独立や自由を尊重するベトナムに対し、建国にあたり、何かから勝ち取ったという感覚がない日本、というのも考え方の違いに関係するところだと思う。
今年は国旗と同じくらい、”Tự hào Việt Nam(ベトナムを誇りに思う)“というスローガンをよく見かけた。記念式典が終わった後、会場の近くに多くの退役軍人やその家族を集まっていた。彼らは今のベトナムを作ってきたという誇りがあり、若い人たちも彼らを尊敬している。今、戦争が始まったら、国のために戦う、と私の20代の知人は即答した。戦争に行くことだけが、すべてではないが、国を守るということが自然と次の世代に受け継がれているのは間違いない。いい意味での愛国心を持って、何かを勝ち取った先に、明るい未来が開かれる、ということを教えてもらったような1日だった。
文=土佐谷由美

さらに詳細な情報を知りたい場合は
下記よりお問い合わせください。