「ベトナム女性は男よりも仕事ができる」プラスチック成型工場、女性社長の自負
- 2021/12/28
フォンナム・シンヒロセ株式会社・社長 チャン・ティ・キム・クエ
ベトナムにおける女性経営者について
ベトナム国営繊維工場との商談経験
かつて私(新妻東一)はある貿易会社の社員だった。入社以来担当したのはベトナムにおける繊維の開発輸入だった。具体的にはハノイの国営繊維会社で紳士向け肌着の製造だった。機械・薬剤を無償で提供し、出来上がった製品は全量買い取る仕組みだった。輸入した製品は大手量販店に主にPB商品として卸していた。
国営繊維工場との商談は半年に1回行われたが、いつもその時期は憂鬱だった。交渉相手は国営企業の女性社長だった。交渉相手が男性なら、最終的にはお酒を共にしてお互い痛み分けで商談成立、といったことがないわけでもない。しかし相手は女性だ。まさか飲み会に誘うわけにもいかない。就業時間中の交渉で相手を説得しなければならない。しかし女性社長も歴戦の勇士。簡単に陥ちるわけもない。ベトナム人女性を敵にまわした時の怖さは十分なほど経験した。
ベトナムにおける女性管理職の割合
英国会計事務所グラント・ソントン社の調べでは、ベトナムにおける女性管理職の割合は39%、世界的にみてもフィリピン、ブラジルに次ぐ第3位である。世界平均では30%、ちなみに日本は15%と立ち遅れている。女性の最高経営責任者(CEO)でも2021年には20%、すなわち5社に1社の割合で女性経営者という国柄でもある。ベトナムの大手乳業メーカー・VINAMILK社やLCC航空会社・VIETJETAIR社の社長も女性であり、いずれも業績は優良な企業ばかりだ。
Phong Nam社の社長、チャン・ティ・キム・クエさんの経歴
ハノイ工科大学に進学
今回ご紹介するプラスチック成型メーカーであるPhong Nam社の社長も女性である。日本では女性、女流、女子という言葉があたかも特殊であるかのように受け取られがちだが、ベトナムでは女性社長など珍しくはない。だから女性社長ということを特別にここで強調することはないかもしれない。ただ日本の読者にはベトナムの一企業における女性社長のあり方は興味のあるところだろう。ここであえて女性であることを特筆しておこう。
Phong Nam社の社長、チャン・ティ・キム・クエ。1963年ハノイに生まれた。彼女はハノイ工科大学に進む。機械製造学部で精密機械について学んだ。
「父親にハノイ工科大学で機械について学ぶことを勧められたから」という理由で入学した機械製造学部には女性は3人、後の25名は男子学生だったという。
「でも今も機械製造に関わった仕事をしているのは私ぐらい。他の人はまったく機械とは関係ない仕事をしているのよ」と笑う。
ベトナム国営の工業機械・設備研究所に就職
1985年には同大学を卒業し、彼女は工業機械・設備研究所に就職した。同研究所は1973年に設立された国営の研究所で、工業設備の研究・設計・製造を行い、ベトナムにおける機械・電子分野で技術専門家を有する研究所だ。2013年には株式会社化し、現在もベトナム商工省が75%のシェアを有している。社名はIMI Holdingという名称にかわり、研究、技術移転、教育訓練センターを6ヵ所、子会社8社を有している。
同研究所は従来からCNCといった工作機械や建設・工業設備、計測器、金型・精密機械、環境設備、オートメーション、農業・食品加工機械、医療機器の研究、研修教育、製造販売を行っている。
Phong Nam社設立の経緯
1995年、Phong Nam社の前身企業が誕生
1990年代にはUNDP・UNIDOといった国際機関からのプロジェクトを実施し、ベトナム全土の技術者の教育訓練を行ったり、英国からの援助を受け、2年間にわたり180万米ドル、半分は人材育成、半分は設備投資を行うプロジェクトも行った。そうしたプロジェクトにクエは常にかかわっていた。
1995年にはベトナム全土に30もの工場を建設するのにも関わった。実はその時に生まれたのが現在勤めているPhong Nam社の前身企業であった。クエは同企業の取締役の一人であった。
2020年に社長就任
クエは2017年、女性の定年55歳を期にIMI Holding社を退職し、現在のPhong Nam社に出資もし、取締役になった。2019年までは会長職をつとめ、2020年からは社長として会社の采配をふるっている。
Phong Nam社の現在の社名はPhong Nam – Shinhirose株式会社となっている。Shinhiroseとは福岡の新廣瀬商事株式会社からの出資を受けているからだ。
新廣瀬商事について
新廣瀬商事との出会い
10年ほど前にPhong Nam社の代表の一人としてクエは福岡のビジネスマッチングイベントに参加した。参加企業の代表者全員が30秒づつ会社のアピールを行った。すると福岡のある会社が商談を希望し、10分ほどの商談を行った。それが新廣瀬商事との出会いだった。
新廣瀬商事は食品トレー容器の製造販売をおこなっている会社だ。日本と中国にも工場を有している。食品トレー容器はコンビニ食や外食産業、なかでもテイクアウトされる食品には欠かせないものだ。
以後、新廣瀬商事は2、3度とベトナムに通い、サンプル制作も行うなかで両者の信頼関係も醸成され、最終的には新廣瀬商事から15%の出資を受けることになったのだという。社名にも同社の名前が冠せられている。
現在では年間220億ベトナムドン(約1.1億円)もの売上の事業にまで発展した。このコロナ禍にあっても食品のテイクアウト需要が増し、トレーの売上は増加したそうだ。
日系企業との取引が多いPhong Nam社
プラスチック容器やプラスチック部品の生産を得意とする
同社はペイント用のプラスチックペール缶の生産を得意としている。ペイントを製造する日系企業との取引もある。農産品を運搬する際のバスケットやトレーも得意な製品のひとつだ。
あらゆる分野の容器のほか、同社はより付加価値の高いオートバイ部品や、冷蔵庫などの家電用部品なども製造し、日系の自動車・オートバイメーカー、家電メーカーにも供給している。
日系企業との取引が多い同社だが、日本企業との取引において日系企業のイメージや取引で注意していることを社長のクエにたずねた。
日本の企業との取引のコツ
「日本の企業はとにかく、堅実、確実、細部にこだわる。常にカイゼンとコスト削減への取組みも求められます」そうした期待に応えられなければ日系企業との取引はできないといわんばかりに即答した。さすがだ。
食品トレーのようにコロナによって増加した取引もあったが、会社全体としてはやはり売上の減は免れない同社。ただ新しい商品にも挑戦中だ。これまでの食品トレーはPSPといって発泡スチロール製だったが、ベトナムの日系スーパー向けにOPS(ポリスチレン)容器の販売にも成功したという。ただ単価も高いものだけにベトナム資本スーパー向けには販売はなかなか難しいとのことだ。
近年、アメリカへの輸出にも成功
「最近アメリカへの輸出にも成功したのよ」とZOOMのカメラの向こうで商品を見せてくれた。排水口に取り付けて遺物が入らないようにするプラスチック製の商品だ。遺物をとらえるために少し複雑な形状をしている商品だ。コロナ禍にあっても果敢に新市場に挑戦するクエと同社のたくましさは見習いたい。
最後に彼女に家族構成を尋ねると「もう3人も孫がいる」と楽しそうに自慢するクエ。ゴルフやテニスに今も興ずるスポーツウーマンでもある。Facebookには取引先の男性とビールジョッキで乾杯する姿もあった。お酒もお強いんですか?と尋ねるとクエはこう答えた。
「仕事の付き合いにお酒は必要でしょ?ベトナムの女性は男なんかよりよっぽど仕事ができるのよ」
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フォンナム・シンヒロセ株式会社
Phong Nam-Sinhirose Co.,Ltd.
フォンナム・シンヒロセ株式会社
プロフィール
前身企業は1995年に設立。現在の代表者はチャン・ティ・キム・クエ。プラスチック成形および金型製造。ペイントペール、食品トレー、農業用バスケット等に強み。
文=新妻東一
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