父から受け継いだ金属加工技術でさらに企業を拡大/ドゥックホップ製造商事有限責任会社
- 2025/07/24
- ベトナム企業インタビュー

日本の製造工場における後継者不足とベトナム
日本の大田区や東大阪市といった町工場が集積した街では、経営者の高齢化と後継者不足が叫ばれて久しい。日本はすでに人口の半分が50歳以上という状態にあるので驚くにあたらないだろう。
建設や介護、食品加工や、ホテル、レストラン、居酒屋などで働く労働者は外国人労働者をあてにするしかない。さもなければ現在の日本の経済規模を維持することすら難しい。
日本人に働いてもらうのが一番だが、年間に70万人も生まれてこない少子高齢化の時代に日本人の労働力に期待するのは難しい。日本人労働者にだけ頼るのなら、解決策は産業の徹底した省力化か、これまで労働力として期待されていなかった高齢者や女性、障害者にも働いてもらうか、のいずれかであろう。
円高の中で進んだのは、このいずれでもなく、低賃金でも働いてもらえる外国人労働者を日本に招く、あるいは、日本での製造をあきらめて、海外生産での生産に移管する、だったはずだ。
私自身、1980年代に貿易会社に入社した当時、会社ではソニーやJVCのラジカセ、テレビのノックダウン(現地組立)輸出に忙しかった。私も大学を卒業したばかりなのに、ベトナムに出張しては、1億円単位の輸出契約書になんどもサインをした記憶がある。それぐらい売れていた。
1985年のプラザ合意後、日本円が次第に円高となるにつれて、日本で生産された商品の輸出は難しくなり、輸入品の方が価格は安くなる。そのため製造企業の海外進出が進んだ。かくいう私も1990年代には、ベトナムで繊維製品を生産して、日本へ輸入し、大手小売業者に販売する開発輸入に携わることになった。日本の工場を廃止し、設備をベトナムに移送し、そこでベトナム人を使って肌着を製造した。出来上がった製品は全量日本に引き取った。当初5万枚の契約が20年後には1000万枚を超えた。日本の繊維産業は衰退し、ベトナムの繊維産業はいまや世界トップ5にはいる生産量を誇る産業にまで発展した。
製造工場をできる限り海外へ移転させてしまったので、円安にもどったところで、製造企業そのものが存在しない、あるいはあったとしても人材の取り合いがおきる。賃金が安い地域、地方では若者は都市部に移動して職をみつけるだろうし、その産業に未来が見えなければ後継者も育たない。今、日本が抱えている問題の本質はそこにある。
これまでもこのBizmatchベトナム企業インタビューでは、何社もの金属加工業を営む経営者に取材してきた。これまでは、日本や韓国などの外国や外資系企業で技術を学び、起業した創立社長がほとんどだった。
今回取材したドゥックホップ製造商事有限責任会社、取材に応えてくれたのは、兄とともに父から引き継いだ工場を会社化し、従業員100名を超える企業に育てあげたグエン・ミン・ドゥックだ。今回もこのBizmatchベトナム企業インタビューと同じようにZOOMを利用したリモート取材であることをお断りしておく。

父の工場をハノイ工科大卒の兄弟で受け継ぎ発展
同社の創業は2006年、ハノイに工場を設けたとなっている。ドゥックによれば、父親がはじめた小さな街工場を引き継いで、父と兄とともに有限責任会社とした年なのだという。父親がはじめた工場から数えれば20年以上の歴史ある金属加工工場だ。
ドゥックは1984年生まれ。ハノイ工科大学機械工学科を卒業し、ほかの会社に2年勤めたあと、父親のやっている金属加工の工場に戻り、同じく工科大学を卒業した兄とともに会社組織にして、工場経営をはじめた。
ハノイ工科大学は、ベトナムの理系の大学としては最難関であり、優秀な学生を多く輩出している。日本との関係も深い大学のひとつだ。兄弟どちらともハノイ工科大学卒業とあれば父親としては心強いことこのうえない。
父親から技術もさることながら、製品の基準となるもの、仕事のやり方、進め方についても学んだという。これは大学で座学で学ぶ以上に貴重なものだろう。
父親はすでに引退し、ドゥックが経営の責任者としての立場で会社をきりもりしている。
当初は主に中古機械で金属加工を行ってきたが、製品の精度をあげるために新品の工作機械に置き換えていった。
同社は現在、ハノイのハドンにある工場の他、ハーナムにも工場を設け、2工場体制だ。ハドンにしろ、ハーナムにしろ、ハノイから遠い場所ではないので、地の利もある。ハノイ近郊にある自動車やオートバイの組立工場や電子、電気製品の工場からも近い。立地としては申し分ないだろう。
コンピュータ制御(CNC)のフライスや旋盤を備えた精密部品工場に、工場の製品・部品の棚、コンベイヤーラインなどを造る溶接工場がある。
同社の得意な製品は、ドゥックによれば治具と金型だそうだ。どちらも金属加工には欠かせない製品だ。
もちろん精密部品の製造も受注で行っている。

同社の製品の半分は輸出で、残り50%は国内での販売だ。輸出先国としては、日本、米国、フランスなどだ。
用途は主に梱包機械や自動車・オートバイ用の部品である。
数量はたった1個から月に10万個まで生産ができるとしている。少量生産でも受注はいとわないとのことだから、たとえ1個であっても同社に相談してみるとよい。
従業員数は、2工場で145名を数える。日本の町工場なら10人以下の零細企業が多い印象だが、ベトナムでなら3桁の従業員を抱えることもできるのだ。
工場には日本での勤労経験10年の日本語スタッフも
実は、今回のインタビューには、ファム・バン・フイという30歳のスタッフが同席してくれた。私のベトナム語を聴いて、通訳の必要はないと思って、日本語を話すのは最後まで遠慮していた。しかし、日本語はどこで学んだのか、そうフイにたずねると彼は「実は日本の福岡で10年ほど、CNCの工作機械で金属加工業の仕事に従事していたんです」と日本語で説明してくれた。日本語はN3の実力があり、特に専門用語のある商談でも十分通訳として事足りる。もちろんメールでのやり取りも可能だというから頼もしい。
「日本では社長さんや社員もとても楽しい方で、仕事を教えてくれるだけでなく、遊びにもあちこちに連れていってくれました。日本で働いた経験は楽しい思い出です」フイはそう語って、日本でのよい思い出がたくさんあると話してくれた。
10年日本で働いてきた彼の経験はドゥックホップ社でも十分活かすことができるだろう。

ドゥック自身は英語には自信があるようだが、日本のお客様は英語やベトナム語の外国語が得意でないことが多い。だからこそ、フイのような日本語を話すスタッフを雇い入れて、商談やクレームに備えているのだそうだ。日本の取引先の多い同社としてはフイは頼もしい従業員だろう。
ドゥックはまだ日本に行ったことがないそうだが、今後は日本の展示会にも参加したいと豊富を述べる。今年の9月にも展示会があるのだが、おそらくそれにはもう間に合わないので、来年の9月の展示会に参加することにしようかと思案中だという。
ドゥックはまだ41歳、働き盛りだ。家族も得て、男の子と女の子の二児の父親だそうだ。さらに3代目に事業を受け渡すことができるように、頑張らなければならないだろう。
「工場の方にもぜひ遊びにきてください」とドゥックに誘われた。機会があればぜひ工場を訪ねてみよう。
文=新妻東一

ドゥックホップ製造商事有限責任会社
Duc Hop Producing Tranding Co.,Ltd.
プロフィール
父の経営する小さな金属加工工場を引き継ぎ、2006年に有限責任会社にした。責任者はグエン・ミン・ドゥック。兄とともに会社をもりたててきた。主な製品は治具、金型、精密機械部品、工場の棚やコンベヤーラインの製造もこなす。生産量の50%は日本、米国、フランスに輸出、残り50%国内での販売。受注は1個から月産10万個まで対応可能。