ハノイに回転寿司「スシタイガー」を新規オープン/株式会社菊の華 永露仁吉

 2025年6月、ハノイに「スシタイガー」が出店した。「スシタイガー」とはホーチミン市タイバンルンの路地うらにある、立ち食いスシバーだ。超人気店でふらっと通りがかりにでも立ち寄りたいが、店内は常にいっぱいで入店そのものができない。それほどの人気店だ。外壁には黄色のビールケースを用い、のれんに染め抜かれたロゴマークの虎の顔の絵も印象的だ。
 「欧風のバルをイメージして立ち食いにしているので、欧米人に受けたんです。彼らの立ち食い文化は日本のそれとちょっと違う。現在は欧米人50%、ベトナム人45%で、日本人は1%にもならないんです」そう説明してくれたのは、永露仁吉。
 彼はとんかつ、ラーメン、カレーといった様々なジャンルの日本食専門店をホーチミン市を中心に、ニャチャン、ハノイで9ブランド、18店舗を展開し、ベトナム飲食ビジネス界で異彩を放つ人物だ。
 2021年に当Bizmatchで取材。当時はとんかつ「FUJIRO」店のオーナーとして紹介した。その後立て続けに多業態、多都市展開を開始、4年の間に18店舗を展開するまでに成長した。

回転寿司「スシタイガー」をハノイにオープン

 ハノイの店舗はV-Towerという日系のレジデンス兼オフィスビルの1階に出店した。キムマー通りという日本料理レストランが立ち並ぶ場所にあるが、タイバンルン通りなどから比べたら、たいへん地味な場所だ。
 そこに立ち食いスシならぬ、回転寿司として「スシタイガー」がオープン。昼飯時にさっそく立ち寄ってみた。壁には短冊に、墨に毛筆で書かれたお品書き。レーンに寿司がまわっている!
 早速、皿を手にとって実食。一皿、5千ベトナムドン(30円)から。ただし皿には一貫ののみ。シャリは少なめ、ネタは新鮮だ。
 「最近はベトナムでも高級なおまかせ寿司店ばかり。2、3百万ドン(12,000〜18,000円)から1千万ドン(60,000円)もしますよね。でも元々江戸前寿司はファーストフードで、ストリートフード。手でつまんで食べるフィンガーフードでした。そんなカジュアルな寿司をベトナムの人に楽しんでもらえるように寿司ネタをベトナム全土から仕入れ、自前で魚を捌いています。ネタの6割はベトナム産なので、鮮度の良さと低価格を実現しています」と永露。
 もちろんレーンに流れていない寿司はタブレット端末で注文すると、ただちに店員さんが運んでくれる。

都市は戦場、業態は武器、多様な立地に様々な業態で挑戦

 経営学の本には、ビジネスには「選択と集中」が必要と書かれている。ホーチミン市のみならず、ニャチャン、ハノイと短期間に複数の都市に、様々な業態で進出するというのは、教科書が教えていることに反しているのではないか?、私がそう訊ねると永露はその質問自体が意外だというふうな顔をしてこう答えた。
 「都市や立地場所は戦場、業態は武器だと思っています。武器として、とんかつ、焼き鳥、ラーメンなど、様々な業態をもっていればたたかいやすい。店舗の場所をおさえ、さて、この場所ではどの武器を用いてたたかうか、将軍たる社長は誰にしよう、そう考えています」
 そうなのだ。彼にとってはベトナムを戦場として、飲食ビジネスで勝つことを目標にたたかっているのだとしたら、ベトナムで飲食ビジネスを展開する、そこにこそ「選択と集中」があるのだ。
 最近、日本人経営のベトナム発イタリアンレストランチェーンがインドやカンボジア、インドネシアにも展開しはじめ、日本への出店も果たした。。永露はベトナム以外の第三国に進出する考えはないのか?という質問に対しても「彼らはすでにベトナムでやりつくしたんです。だからこその海外展開です。自分はまだそこにまでいたっていない。だから海外進出は考えていません」そうはっきり答えた。ここにもやはり「選択と集中」があるのだ。
 日本でだって、ひとつの会社や店舗を経営するのもたいへんなのに、様々な業態の18もの店舗をどのようにマネジメントしているのだろう、そう思ったので永露にその質問を投げかけた。永露の答えは「ベトナム人社長4人に18店舗の経営を任せています」という。
 「会社のトップの最も重要な仕事は自分のポジションを譲っていくことだ、そう思っています。4人には採用や給与などの権限も委譲しています。数字のチェックや方向性の確認は自分もしていますけどね」
 永露はその4人を飛び越えて、従業員に直接指導することはないそうだ。
「従業員の管理は4人の社長の仕事です。それは彼らがすでにやっていることです。だから、従業員の半分はおそらく自分、永露が誰かも知らないと思いますよ」
 わたしはこれまで日本人料理長や管理職が抜けてしまうと、とたんにその店の料理やサービスの品質が落ちてしまうケースをいくども見ていた。やはり日本人が管理しないと日本料理店の経営と品質の管理は難しいのだ、そんな風に思いこんでいた。そんなものは思い込みでしかない、そう永露は教えてくれた。
 ヒトを配置したら、その人物に一度成功体験を与えることも重要だと、永露はいう。
 「地域や物件、業態によっても難易度が異なります。たとえば寿司は知名度の高い日本料理ですが、とんかつやカレーはベトナム人は当初料理の存在を知りませんでした。ですから、とんかつ、カレーはベトナムで勝負するには難易度が高いんです。物件なども同様ですね。最初は難易度の低くても、次第に難しいことに挑戦させることがそのスタッフの成長も促します」
 信頼して任せ、一度でも成功体験を得られれば、自信をもって次の挑戦にいどむようになる。そして次には、そこより少し難易度の高い課題を与える。そしてそれをも越えさせる。もちろん数字と方向性はともに確認する。それ以外は口をはさまない。そう永露はこともなげに話すが、日本でもそれは容易ではない。ましてやここはベトナムという異国だ。文化も習慣も日本とは異なるから人に任せるのはハードルが高いはずだ。それを実行する永露の経営には学ぶべきところが多くあると感じた。

日本で働くベトナム人60万人の経験、ノウハウを生かす

 ホーチミン市でもさらに事業を深掘りして拡大することを永露は狙っている。ベトナムの多くは路面店だが、これを空中階、つまり2、3階にある飲食店への挑戦だ。上層階のペントハウスを改造してオープンした隠れ家的な焼き鳥店「八兵衛」の成功が背景にある。
 また他店が撤退した場所、物件にあえて出店するという逆張り戦略をとることも考えているようだ。数多くあった偽ブランド店が取締り強化で撤退する中、その物件を借りて、あたらしい飲食店を展開する。そもそもそうした店は観光地の一等地にあるので、狙い目なのだそうだ。数々の戦場でたたかって勝ちを取り、蓄積されてきた永露の戦術・戦略がここで生きることになる。
 「これはまだ公表できないのですが」と前置きして、永露は「これまでは準備期間。これから僕らは本番のたたかいに入ります」と具体的なことは明言しないものの、永露の会社があらたなフェーズに入ることを告げた。
 「日本には60万人ものベトナム人が飲食業などで働いています。彼らがベトナムに戻ってきたとき、彼らの経験とノウハウの受け皿となるような企業を目指します。すでに焼き鳥『八兵衛』で働いているのは、そんなベトナム人の一人です。様々な業態とベトナムの様々な都市で店舗を展開し、『いつでも、だれとでも、なんでもできる』存在となることを目指してきました。それが今後活きてきますよ」そう永露は語り、彼の企業の未来に対して高揚した面持ちをみせた。
 永露の新しい挑戦は日本で働いた経験のあるベトナムの人材とともにあるようだ。近々に公開される情報のようだから、果たしてどのような展開が待ち受けるのか、楽しみだ。

株式会社菊の華・代表取締役社長
永露仁吉

プロフィール

1976年福岡県生まれ。青雲学園高等部から大阪外国語大学中国語学部に進学。化粧品メーカー、語学スクールを経て、2007年株式会社菊の華設立。ホーチミンをメインに、ハノイとニャチャンで18店舗。とんかつ「FUJIRO」、ラーメン「ムタヒロ」、スシタイガー、焼き鳥「八兵衛」、小料理屋西、一番軒(フランチャイズ)、上等カレーなど多ブランドの店舗を展開中。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

新妻東一Sanshin Vietnam JSC マネージングダイレクター

投稿者プロフィール

1962年東京出身。東京外国語大学ベトナム語科卒。貿易商社勤務、繊維製品輸入を担当。2004年ベトナム駐在。2010年テレビ撮影コーディネートと旅行業で起業。

この著者の最新の記事

関連記事

コメントは利用できません。

おすすめ記事

ビジネスに役立つベトナム情報サイト
ビズマッチ

ページ上部へ戻る