「苦境にあってもぶれない信念」:元Jリーガーがベトナムで築くスポーツ・教育の未来/SAKURA SPORTS ACADEMY

 Bizmatchでは今回、ベトナム・ハノイを拠点にサクラ・スポーツ・アカデミー(SSA)を運営し、多角的な事業展開を進める井上寛太氏を取材した。20代でプロの世界の厳しさを知り、異国の地でゼロからビジネスを立ち上げ、コロナ禍という「強制リセット」を乗り越えたその経営のたくましさに迫りました。(聞き手:新妻東一 話し手:井上寛太)

転んでもただではおきない経営者のようなタフさ

新妻: 本日はお忙しい中、ありがとうございます。前回2021年の取材から4年が経過し、井上さんの事業も大きくなられたとうかがっています。まずは、改めて井上さんがベトナムに来るまでの経緯と、なぜスポーツアカデミーを始めたのかを、簡単にお聞かせいただけますでしょうか。
井上: 私は京都出身で、10歳から当時の京都パープルサンガ(現京都サンガFC)のユースでサッカーをしていました。高校は立命館宇治高校に通い、プロを目指していました。
新妻: スカラースリートプロジェクトの2期生でいらっしゃったとうかがっています。プロ契約までは至らず、立命館大学へ進学されたものの、半年ほどで中退を決断されたそうですね。
井上: はい。大学では「このままだと自分の意図する成果は得られない」と感じ、中退を選びました。親は大反対でした。あえて中退という「後戻りできない環境」を作り、サッカーに集中しました。その後Jリーグ入りしたのですが、そこで見たのは、サッカー選手の平均引退年齢が25.3歳という厳しい現実でした。毎年、先輩たちが契約金額0円と表示されている契約書一枚、つまり契約非更新を通告され、チームを去っていくのを見て、セカンドキャリアの厳しさを痛感しました。
新妻: その危機感から、20代前半でサッカー人生を切り替えられた。ヨーロッパのスロベニアに渡ったものの、現地でエージェントに裏切られ、自力でチームを見つけるなど、前回取材でおうかがいしましたね。まさに転んでもただではおきない経営者のようなタフさです。
井上: 振り返るとそうかもしれません。その後ドイツ、オーストリア、クロアチア、スコットランドなど、クラブを経験しました。ヨーロッパでは自分自身ほかの南米や黒人選手とくらべ、足が早い、圧倒的に身体が強いなど、トップレベルで生き抜くための、突出した技術がないと悟り、引退を決断しました。引退後、お世話になったコーチの紹介で、海外でスポーツビジネスをしたいという会社とベトナムを訪れたのが2018年です。
新妻: そこがベトナムとの出会い。しかし、その会社が事業をやめることになり、井上さんは「梯子を外される」かたちになってしまった。にもかかわらず、ご自身でSSA(スポーツアカデミー)を2019年5月に立ち上げられたのですね。
井上: はい。私の場合、ヨーロッパや東欧で、道徳やルールが通用しない「無法地帯」も見てきたので、「裏切られたからやめる」という発想にはなりませんでした。自分でやろう、と決めたのが、SSAの始まりです。

コロナ禍で事業が「マイナス」に:危機が生んだ多角化戦略

新妻: 立ち上げ直後の2020年、すぐにコロナ禍に見舞われました。ベトナムは非常に厳しいロックダウンを実施しましたよね。
井上: まさに壊滅的でした。ベトナム人のスクール生はほぼゼロになり、契約していた学校や幼稚園も潰れるなど、ビジネスどころかマイナス状態でした。自己資金を投入しながら、サービス提供ができない状態が続きました。
新妻: 立ち上げから一転、ほぼゼロ、あるいはマイナスからの再スタートを強いられた。この困難を経験し、経営に対する考え方は変わりましたか。
井上: 大きく変わりました。それまではスポーツ教育への情熱が先行していましたが、この状況で何もできず、お金が減っていくのを目の当たりにして、「このままではまずい」と。長く継続するためには、教育を軸にしつつも、事業を多角化する必要があると強く感じました。安易にクラブを立ち上げて、うまくいかなくなったらすぐ辞めるような事例をベトナムでは多く見てきたので、子供たちが関わる事業だからこそ、しっかりとファイナンスを整える責任があると思ったのです。
新妻: 具体的にはどのような多角化を進めたのでしょうか。
井上: まず、スポーツスクールの多様化です。サッカーだけでなく、空手、チアダンス、ヒップホップダンススクールも展開しています。そして、最も注力しているのがB2B事業です。それは「日本の体育」プログラムをベトナムの教育機関に導入する事業です。
新妻: 日本の体育ですか。ベトナムの学校では、体育が「自由に遊んでいる時間」になりがちだと聞きます。
井上: はい。日本の義務教育で培われる、鉄棒やマット運動を通じた基礎的な運動能力、そして規律やルールを守る道徳観は、世界でもトップクラスだと確信しています。その日本の体育プログラムを現地で標準化し、インターナショナルスクールや私立幼稚園にサービスとして提供しています。これは年々契約が増えており、スクール生の規模とは別の収益の柱になっています。

スポーツを起点にした総合商社へ:若手経営者が目指す未来

新妻: 日本の教育コンテンツをベトナムの発展に寄与させるという理念が素晴らしい。事業は教育に留まらず、イベントや旅行業、さらには物販へと展開されていますね。
井上: スポーツを軸に事業を広げています。例えば、イオンモールでチアダンスの大会を開き、その場に日系企業のブースを集めて、日本製品の販売会を組み合わせるといったイベントマーケティングです。単にブースを並べるだけでなく、ステージの魅力でオーディエンスを集めることが重要です。
新妻: まさにフィジカルな価値と体験価値を融合させている。IT化が進む時代だからこそ、井上さんが手掛けるような「リアルな体験」の価値は高まっていると思います。
井上: そう感じています。また、教育関連で言えば、日本の中高生向けの「グローバルスタディキャンプ」も展開しています。単にスポーツ遠征をするだけでなく、アジア経済や情勢を学び、現地の貧困地域でスポーツ指導を行うといった社会貢献(CSR)の要素も組み込みました。立命館宇治高校のチアリーディング部も参加してくれました。
新妻: 日本の若者に海外の現場を見せる非常に教育的なサービスですね。さらに、SSAはベトナムから日本、東京・大田区へも逆展開されています。これはどのような狙いでしょうか。
井上: 目的は複数あります。一つは、ベトナム人スタッフに日本での仕事を通じて営業家感覚を学ばせる場を作るためです。もう一つは、スポーツウェアやグッズのサプライチェーン事業です。ベトナムの工場で製造した高品質なウェアを、東京の法人を通じて日本の少年団などのクラブに直接販売し、中間マージンをカットすることで、安価に提供しています。
新妻: それは日本のクラブにとって非常に魅力的ですね。コストを抑えてクオリティを維持できる。
井上: はい。さらに、ベトナム人会員は富裕層が多く、日本への関心が高いみなさんです。そこで、日本の地方の特産品やお酒など、販路に困っている商品を、彼ら富裕層の親御さんたちに紹介する商社的な役割も担っています。地方の商工会議所などとも連携しています。
新妻: スポーツアカデミーを核に、教育、イベント、サプライチェーン、商社機能を展開している。まさにベトナムと日本をつなぐ、若きグローバル経営者のモデルですね。
井上: ありがとうございます。これからも、軸である日本の教育コンテンツの素晴らしさをベトナム、そして世界に発信していきたいと思っています。

インタビューを終えて

 井上氏のキャリアは、プロサッカーの世界で「0円契約」を見た現実主義と、ヨーロッパでの困難を乗り越えた強靭な精神力の上に成り立っている。コロナ禍で事業が崩壊の危機に瀕しても、それを「事業多角化の必要性」と捉え直し、日本の「体育」や「規律」といった無形資産をコンテンツ化して、ベトナム市場に深く根付かせた経営戦略は他にないものだ。
 特に、単なるスポーツ指導ではなく、日本とベトナムの若者双方に経済や社会情勢を学ぶ機会を与える「グローバルスタディキャンプ」や、中間流通を排除したアパレル事業、富裕層会員をターゲットにした地域産品プロモーションなど、複数の収益源を構築する手腕は、不安定な海外ビジネス環境を生き抜くための実践的な知恵に満ちている。
 デジタル化が進む現代において、あえてフィジカルな「教育」と「体験」に賭け、確固たる信念を持って国境を越える井上氏は、海外市場を目指す20代、30代の経営者にとって、まさにロールモデルとなるだろう。

文=新妻東一

代表 井上寛太(右端)

SAKURA SPORTS ACADEMY(SSA)
サクラ・スポーツ・アカデミー

プロフィール

京都サンガFCユース出身。立命館大学サッカー部を中退後、Jリーグやヨーロッパでプロサッカー選手としてプレー。トップレベルの限界やセカンドキャリアの厳しさを感じ、引退。海外でのビジネスに関心を持ち、2019年5月にベトナムでSSAを設立。コロナ禍で一時打撃を受けたが、現在はサッカースクールに加え、多種スポーツスクールの運営や、体育事業の導入、商社や物販、イベント運営など、事業の多角化を進めている。

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新妻東一Sanshin Vietnam JSC マネージングダイレクター

投稿者プロフィール

1962年東京出身。東京外国語大学ベトナム語科卒。貿易商社勤務、繊維製品輸入を担当。2004年ベトナム駐在。2010年テレビ撮影コーディネートと旅行業で起業。

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