ハノイの老舗日本料理店のオーナーがハノイに店を開店した深〜い理由

和食処「紀伊」/小林宏治郎インタビュー

 日本料理はベトナムでもブームだ。日本料理店はベトナム全土で1000店を超えているという。私の住んでいるマンションエリアにも日本料理チェーン店が出店していて週末ともなるとベトナム人で満席になる。食べているのは寿司、天ぷら、刺身など、日本料理の定番だ。

 今から20数年前、ハノイに一軒の小さな日本料理店ができた。ベトナム近海の魚を仕入れて、刺身にして食べさせる店だった。当時私が勤めていた会社の事務所の近くということもあり、出張の際にはよく利用した。店名は「紀伊」。日本人男性がオーナー兼料理長をやっていた。彼の名前は小林宏治郎、ハノイでは最も古くからある日本料理店「紀伊」のオーナーだ。その小林が今回Bizmatchのインタビューに応じてくれた。

 小林は東京都板橋区に1966年、昭和41年生まれだ。「ごくごく普通の子どもでしたね」と照れくさそうに答える小林。「少年野球をやってましてね。それほど上手でもなかったので、バッターボックスにたつことはあんまりなかったんですけど。その日はバットを握りしめて、ボックスにたったんです。監督に『球をよく見るんだぞ』といわれましてね。球をよく見ようと目をこらしてた。ピッチャーが振りかぶって球をなげたら、その日に限って球がよく見えるんです。『よく球が見えるなあ』と思ってたら目の上のおでこに球があたって。デッドボールで出塁ですよ。監督はじめ皆が『大丈夫か?』と駆け寄ってくるんですが、『大丈夫、大丈夫』と半べそをかきながら、一塁を目指したことを覚えています」まるで落語か、漫画のようなお話だ。

 小学校高学年になると新聞をくまなく読むのが毎日の日課となる。中学校のときには「朝日新聞」、高校にはいると「日経新聞」を愛読していたというから、面白い。

 そんな小林少年は高校を卒業後、大学に入学する道を選ばず、料理学校に通った。「日本の教育って知識は教えますけど、生きるための技術は教えてくれないんですよ。総花的にきれいごとを教えるんです。そして『目の前にいるひとは信じなさい』と性善説での教育です。僕は刺激が欲しかったんですよね」

 小林は料理学校で「生きるための技術」を学んだ。

和食処「紀伊」の寿司

 料理学校を卒業後、S社に入社する。S社は1970年創業のファミリーレストラン業態の先駆けだ。創業者は当初食品販売店を経営していたが、大手スーパーには負けると見越して食品販売店を廃業し、アメリカの「ビッグボーイ」「デニーズ」を視察、日本の遅れた外食産業を革新するとばかりに東京の郊外に1号店を設けた。

 小林が入社した1987年には新ブランドの和食レストランがスタートして数年、まだ12、3店舗しかなかった時代にその和食レストランの調理師としてはたらきはじめた。まさにバブル絶頂期で毎日の売上が店舗あたり70〜80万円、年商も3億円という時代だった。

 「都合8年間働きました。最後の4年間は店長という名目でしたね。当時店には正社員が3名しかおらず、あとは全員アルバイト。店長の役割はほぼ労務管理でした。社員も5人入社して1人しか残らない。あとは皆やめてしまう。精神的に追い込まれて気がふれてしまうひともありました。ある時残業時間が月200時間を超えたんです。8時間の労働を終えると再び8時間働くといった調子でしたね。ただ20代に仕事で辛い経験をしましたが、その後どんな辛い目にあっても、あのときの辛さを思えば目の前の困難は乗り越えられる、そう思えるようにはなりました」そういう時代だった。

 27歳になった1993年、小林は藍屋横浜店の店長だった。地元のある中小企業組合でベトナムへの経済視察ミッションが6日間の日程で行われるので参加しないかとの誘いがあった。当時はタイへの進出が一段落し、中国進出がブームになりかけていた。東南アジアではベトナムかミャンマーへの期待が集まった時期でもあった。視察ミッションのメンバーはエンジニアリング会社や土木、建築、不動産業の責任者だったが、会社の7連休制度を利用してハノイとホーチミン市を訪れた。

 「91年春ごろから急速に店の客足が落ちたんです。ちょうどバブルがはじける予兆だったんでしょうね。1992年にはバブル経済が崩壊して呆然としているときに、当時ベストセラーとなった中野孝次『清貧の思想』を読みましてね、これからはマネーの時代ではない、心の時代だ、なんて思ってたんです。そんなときにハノイにいったでしょう?大ショックを受けましてね。街にはなにもない、皆自転車をつかって移動し、夜空は星で美しい。ベトナムはまさに理想の『清貧』の国だと思い込んでしまったんです」その後、ベトナムで働くようになって、この印象は自分の勘違いだと気ついたんですが後の祭りでしたね、と苦笑する小林。

 1994年、ベトナム経済視察ミッションを企画した中小企業組合がベトナム・ハノイに客室80室のビジネスホテルを建設する、という計画がもちあがる。当時はハノイの国際的なレベルのホテルはハノイホテルかソフィテル・メトロポールぐらいしかなかった。日系のホテルもなかった。そのホテルにテナントとしてレストランを経営しないかと誘われたのだ。

 「飲食業をやっているものは、いずれ自分の店を持ちたい、独立したいとの気持ちを持っていましてね。だから自分もハノイにレストランが持てるかもという誘いにのったんです」

 小林は会社を退職し、準備のためにすぐにでもベトナムへ行きたいと気持ちがあせった。当時はベトナム入国査証は申請してもなかなか許可がおりなかった。やむをえず、小林は留学を目的に杉良太郎が主宰するベトナム文化交流協会を経由してベトナム入国査証を申請した。今度はビザはすぐに取得できた。

 同年小林は会社を退職し、ベトナムに飛んだ。一年半ハノイでベトナム語を勉強した。しかし、好事魔多し、小林は窮地にたたされる。

 「ホテルの建設計画はベトナム共産党の幹部の子弟との合弁であると鳴り物入りだったのですが、中小企業組合そのものは出資せず、他人の懐を頼りにするような話だったので、ホテル建設は立ち消えになってしまったんです」

和食処「紀伊」のおせち

 小林はしかし転んでもタダでは起きなかった。そのままベトナムに残り、魚のバイヤーをはじめた。中部ゲアン省から北部のクアンニン省の漁港と水産工場を片っ端から訪ね歩いて魚を仕入れた。ベトナムの北部の近海には紀伊半島から以南の日本の海で獲れるのと同じ種類の魚が見つかった。日本で高級魚とされるマダイ、イサキ、ハモなど獲れた。

 「コトヒキという名の背に黒い縞模様のある魚があるんです。四国地方では葬式や法事に欠かせない魚なのですが、当地ではタイガーフィッシュと呼ばれています。これを輸出したいと魚の売人に持ちかけると彼らは『ない』とは言わない、しかし待てど暮せど、いつまでたっても魚が獲れたとは言ってこないんです。ベトナムは魚の種類が豊富なんですが、漁獲量が絶対的に少ないのです」

 小林は日本では高くて食べられない魚もベトナムでは手に入れることができる。ただし輸出するほどの量はない。よし、この魚を使った日本料理店をベトナムに出店してはどうだろうか?と思いついた。そしてそれが冒頭の日本料理店「紀伊」のオープンへとつながった。

 2002年には現在の場所に日本料理店「紀伊」移転し、3階建てとした。「紀伊」が気楽にランチを食べる普段使いの店とするならば、接待にも利用できる日本料理店「寛」も2009年にオープンした。昨年2020年9月には日本の農林水産省から「日本食普及の親善大使」にも任命された。最初の出店から20年以上を経てもいまだに変わらず愛されているハノイの日本料理店の一つだ。

 今後の抱負を尋ねると次のような答えが返ってきた。

 「20年前だったら労働者の月給は日本円にして5千円程度。しかし現在は950万ドン(約5万円)ぐらいします。10年前までは日本料理店の経営は良かったのです。今はコロナ前であっても経営的には厳しくなっています。自分は時代についていけてるのかな?時代遅れになっていないかなと、常に自問自答しています。店で流している音楽も『昭和』の歌ですしね」と小林は笑う。

 その「昭和」の香りのする日本料理店こそが、私のような昭和生まれの人間にとって「憩いの場所」なのだが、小林も経営者だ。世は「令和」という名前を冠せられた時代。いよいよ「昭和も遠くなりにけり」、小林も新たな一手を考えはじめているのだろうか。

文=新妻東一

和食処「紀伊」/小林宏治郎

日本料理店「紀伊」オーナー
小林宏治郎

プロフィール

 1966年東京・板橋区生まれ。1984年料理学校に入学、1987年にファミリーレストランS社の和食ブランドレストランで調理師から店長にまで昇進。1994年にはベトナムに渡り、ベトナム語を1年半学んだのちに鮮魚のバイヤーとなる。ベトナム近海の魚を用いた日本料理店「紀伊」をオープン。2009年には日本料理店「寛」もオープンした。2020年日本の農林水産省から「日本食普及の親善大使」に任命された。

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