「1回泣かされたら100回笑わす!」が僕のベトナムでの経営と生活のモットー
- 2021/07/09
ベトナムで発行されている日本語フリーペーパー月刊「L.I.V」。ベトナム在住者なら一度は手にしたことがあるだろう。2015年創刊、発行部数2万部、日本食レストラン、美容室、アパートなどで手にすることができる、ベトナム在住邦人向け生活情報誌だ。
今回のインタビューはその「L.I.V」を発行するSource Vietnam社社長、荘真希。彼は1986年兵庫県姫路市生まれの35歳。日本に生まれ、日本の教育を受けた。しかし「日本人」ではない。彼の国籍はベトナム、在外ベトナム人「越僑」だ。
ボートピープルあるいはインドシナ難民をご存知だろうか。1975年ベトナム、カンボジア、ラオスのインドシナ三国で次々と政変がおき、社会主義体制に変わった。体制から迫害を受けた、あるいは体制になじめなかった人たち、経済的に困難に陥った人々が次々と祖国から海陸路を経て他国へ逃れた人たちのことだ。1970年代から1980年代にかけてその数140万人に及ぶという。
荘の両親も10人もの兄弟と共に1970年代末にベトナム北部から海外へと渡った難民だった。難民を受け入れてくれる国が定まらず、香港ほか各国を転々としたが、最終的に彼らの定住を受け入れたのは日本だった。彼の両親はまず姫路の定住促進センターに住む。そして荘が生まれた。ほどなくして家族は神戸に移り住んだ。
荘は日本人として教育を受けた。大学へ進むことも考えた。「僕の好きな生き方を日本という国は認めてくれそうにないし、大学を卒業して就職するという道を歩むことにも躊躇がありました」と荘。
荘は2003年、17歳の年に1年間ベトナムに留学しベトナム語を学ぶ。家庭内ではベトナム語も使っていたので、留学によって会話も上達し、読み書きも習得できた。帰国後、得意のベトナム語を使う仕事を探したが、当時の日本にその需要はなかった。しかたなく今で言うブリッジSEのような仕事についた。「始発の電車に乗って終電で家に帰る、そんな毎日でした。上司も好きだったし、上司から気に入られてもいました」
だが自分にはしっくりこない日本の生活に区切りをつけ、荘は1年間ニュージーランドに英語留学した。帰国後は1年半日本で営業職についた。しかし両親の生まれ故郷、ベトナムで働きたいとの気持ちは強くなる。経済発展を続けるベトナム、なかでも発展著しいホーチミン市になんのツテもなく飛び込んだのが2012年、荘、26歳の年だった。
「当時はやっていたmixiやブログ、イエローページなどを頼りに職探しをしました。とにかく情報がないのです。当時ホーチミン市で知り合った日本人の友人に『君はベトナム人なのだから起業した方がいい』とアドバイスを受けました。以来『起業』という道を考える様になりました」
ベトナムでの職探しの結果、二つの選択肢が荘の前にあらわれた。一つは大手商社のハノイ代表にとの誘い、もう一つは創刊してまもない、あるフリーペーパーを発行するベンチャー企業からの誘いだった。留学当時から商社へのあこがれもあったが、いずれ独立起業をと考えていた荘はスタートアップのやり方を学ぶことができる後者を選んだ。
「自分はいずれ起業するので、働く期間は3年のみ。自分も会社を踏み台にするが、会社も私を踏み台にしてほしい」といって入社を許された。彼が勤めた3年間で赤字だったフリーペーパーの会社を黒字化することに成功した。
その3年間でも自らやりたい仕事というのは見つからなかった。ただ、フリーペーパーの仕事をやりつつも、知人から頼まれて企業の営業ライセンス、ビザの取得、従業員教育などを頼まれて解決していた。そこで企業のベトナム進出、法務・税務を支援するコンサルタント業務を柱とするSource Vietnam社を2015年に立ち上げた。フリーペーパー月刊「L.I.V」はその会社の事業のひとつと位置づけた。
「当時、僕の貯金は1.8億ドン(約95万円)しかありませんでした。フリーペーパーを1回発行するのに5千万ドン(約26.5万円)はかかる。月刊だったので、3〜4ヶ月やって赤字だったらぱっとあきらめて就職しようと決めてました」
創刊より徐々にスポンサーも順調につきはじめ創刊後3ヶ月でトントン、半年後にはスタッフを増やし拡大基調にのせた。コンサルティング事業もスポットで頼まれるようになった。
「3年目ぐらいからパートナー契約ができるようになりました。飲食・美容から病院を含む各種サービス業でベトナムに進出したい会社や経営者とパートナー契約を結び、『労務、税務は私に任せてください、あとは経営に集中してください』とお話しし、いまでは10数社と契約をしています」
荘も過去には失敗もあった。税の追徴を受けたときだ。金額は大きかった。しかしどこへもっていっても解決できない。これは荘自身で解決しなければならなかった。解決した経験はすなわち彼のコンサルタントとしてのノウハウになった。「ノウハウは積極的にスタッフに教え、システム化しました。社長である自分が働かなくてもお金を稼ぐ仕組みをつくるのが経営者ですから」
人にはできること、できないこと、それぞれに得意がある。経営者がなんでもやってしまいがちなので不得意な部分で失敗する、だからその部分は人にまかせる。そして市場よりも高い給与をスタッフへ支払う、貯金をするより人に投資することを優先してきたと荘は力説する。
「日本の夫は専業主婦の妻に家計費としてお金を渡しますよね、でも僕だったら『家のことはすべておまかせしますので、月々これこれしかじかの金額を家事労働の対価として支払います』と約束します。これで夫婦の間の問題の多くは解決します。経営でも自分のお金を使われると思うと経営者は節約しようとしますが、契約履行の対価として支払うのであれば気持ちよく支払えるはず。奥さんにもスタッフに対しても同じことです」と荘。筆者は荘のたとえ話に大きくうなづいた。
そして今回のインタビューの最後、荘はこう付け加えた。
「僕の経営モットーは『1回泣かされたら100回笑わす』です。失敗の経験は必ず次の価値を生み出します。僕が泣かされてもクライアントが100回笑えれば泣かされた一回は無駄にはなりません」
文=新妻東一
荘真希(そうまさき)
Source Viet Nam Co., Ltd.代表取締役
プロフィール
1986年、兵庫県姫路市にベトナム人の父母の間に生まれる。2003年、ベトナム・ハノイに語学留学。2007年ニュージーランドに英語留学。帰国後、営業職につく。2012年ベトナムホーチミン市にわたり、日本語フリーペーパー紙の営業を3年間つとめる。2015年Source Viet Nam Co., Ltd.を設立、同年日本語生活情報誌・月刊「L.I.V」を創刊。ベトナム企業進出コンサルタントとして評価を得ている。デビッド伊東のラーメン店のホーチミン市出店等々を支援。
URL:
Source Vietnam Co., Ltd. https://sourcesvn.net/
月刊「L.I.V」 http://liv-vietnam.com/
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