ビジネスに役立つベトナム情報サイトビズマッチ
「好きを仕事に」困難は幼少時、自然の中で培った直感力で乗り越える!
今回お話を伺うのは、More Production Vietnam日本人代表の勝恵美だ。彼女は日本の絵本の読み聞かせ活動をしていたことから、2017年天皇皇后両陛下のベトナムご訪問の際に絵本に関心の高い美智子妃殿下と面会…
老後の夢だった「海の見えるカフェ」をコロナ禍に「せやな」ではじめたカフェ店長
ダナン。18世紀半ばにはフランス・スペイン連合艦隊が攻め込み、20世紀半ばにはアメリカの海兵隊が上陸し、巨大な基地が建設された港町。植民地も戦争も去ったあと、現在ダナンはベトナム有数の海のリゾートとして知られている。
人生はギブ・アンド・ギブ、コロナ禍にあきらめず立ち向かう24歳起業家
コロナ禍でレストランでの飲食が禁じられている今、ハノイとホーチミン市の在留邦人の中で便利なスマートフォンアプリができた。その名も「Capichi」。来店しての飲食ができない中でデリバリーをはじめた飲食店と顧客とをつなげるデリバリー注文アプリだ。
「1回泣かされたら100回笑わす!」が僕のベトナムでの経営と生活のモットー
ベトナムで発行されている日本語フリーペーパー月刊「L.I.V」。ベトナム在住者なら一度は手にしたことがあるだろう。2015年創刊、発行部数2万部、日本食レストラン、美容室、アパートなどで手にすることができる、ベトナム在住邦人向け生活情報誌だ。
ベトナムでの飲食店経営の経験から食材調達プラットフォームを立ち上げた若きCEO
2018年、飲食店向けにBtoBの食材調達プラットフォーム「KAMEREO」を立ち上げ、ベトナムのスタートアップでCEOを務める田中卓。1989年、静岡に生まれ、東京・江戸川区で育った31歳。彼がなぜ、今、ここベトナムにいて、テック企業を立ち上げることになったのか?
お金を出せば経営者になれるが、ボスとして慕われるには「覚悟」が必要
昨年8月「ベトナムで竹炭パンが売れている!」とのツイッターのつぶやきをヒントに「竹炭パン」をパン粉に用いた新商品・黒いとんかつ「Sumikuro」を開発、1ヶ月後には店頭に並べ1日120食を完売したホーチミン市・とんかつ専門店「Fujiro」。
ベトナムの技能実習生が日本で金属加工技術を学び工場を立てた物語
ベトナム金属加工工場の副社長のインタビューを掲載。日本で働き、金属加工の技術を学んだタットさんがベトナム工場の責任者になるまでの道のりや現状、今後への想いをインタビュー。
元プロサッカー選手にしてスポーツスクール経営、夢はサッカーチームのオーナー
今回のインタビュー相手は元プロサッカー選手であり、現在はハノイで約500名もの会員にスポーツを通じて「日本」を教育するSakura Sports Academyの代表、井上寛太だ。井上は1991年生まれ。今年30歳になったばかりだ。
震災ボランティアから政治家秘書を経て、民間企業ベトナム駐在に
ファーストフード店でバイトをするごく普通の22歳の大学生だった箕輪。もしあの災害と、その後なにかに突き動かされるように飛び込んだボランティアの経験がなければ箕輪はここベトナムに存在していなかっただろう。2011年3月11日、東日本大震災。
ずるいフルーツ「イチゴ」に魅せられ、ベトナム北部で夢を馳せる日本人生産者
「イチゴはずるいフルーツなんですよ」とインタビューの開口一番、切り出したのはインタビュイーの方だった。「赤くて可愛くて愛らしいでしょ。女性と子どもに好まれるんですよ。だから男たちはただただお財布を開くしかない」と笑う。
ロスジェネ建築家、武道とベトナムに学び「立ち向かわない」建築をめざす
竹森紘臣、1977年静岡県生まれ。ベトナム・ハノイで建築家として活躍する44歳。筆者は彼とプライベートのお付き合いもあるが、インタビュー記事を書くなら第1回目に彼を取材したいと決めていた。彼は俗にいう団塊ジュニアで就職氷河期を味わったロスト・ジェネレーションだ。
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