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新妻東一一覧
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- 2021/11/03
- ベトナム企業インタビュー
世界で最も厳しい日本市場向けにカシューナッツの輸出を目指す
ベトナムの農産品は意外な商品で世界でも有数の生産量を誇っている。例えばコーヒー。2019年には168万トンを生産し、ブラジルの300万トンに次いで世界第2位の生産量だ。コショウではエチオピアの37万トンに次いでベトナムは26万トンと… -
- 2021/10/23
- ベトナム観光旅行記
ワーケーションにうってつけのベトナム中部の都市「ダナン」
ベトナム中部の都市、ダナン。人口110万人を超える都市ですが、ひきの長い白い砂浜が延々と続くビーチがあり、1500mを超える山もかかえています。今流行りのワーケーションにもうってつけの土地、それがダナンです。現在は運休していますが… -
- 2021/10/11
- ベトナム観光旅行記
豊かな自然と歴史に彩られたベトナム中部高原「ダラット」の旅
ベトナム中部高原ダラット。ホーチミン市からなら車で6時間30分、飛行機で行けば1時間弱で到着します。標高1500m前後で、高原だけあって亜熱帯のベトナムにあっても夏涼しい土地柄です。この夏涼しく穏やかな気候を生かして野菜や花卉の生産が盛ん。 -
- 2021/09/29
- 日系企業インタビュー
「あまのじゃく」な僕が行動認識AI・スタートアップ「アジラ」に入社したわけ
アジラ。社名である。怪獣の名前ではない。同社は日本の木村大介とベトナムのグエン・タン・ハイの二人が2013年に出会ったことではじまったスタートアップ企業だ。同社は行動認識AI(人工知能)という技術では世界トップクラス、業界からも注目を集めている。 -
- 2021/09/22
- 日系企業インタビュー
自由気ままなベトナム人の夫にふりまわされ、気がついたらお土産店を経営?!
私の妻はベトナム人だ。国際的だ、グローバルだといわれるが、私にとってみれば結婚しようと思った相手がたまたまベトナム人女性であった、ただそれだけだ。結婚して17年目。子供も三人得た。「ダナンでベトナム雑貨のお店を経営してがんばっている日本人女性がいる… -
- 2021/09/21
- ベトナム観光旅行記
フランス植民地時代の建築、3つのホテルで味わうホーチミン市の旅
ホーチミン市。ベトナムを独立へと導いた指導者の名前を冠した街です。元の名称はサイゴンでしたが、1976年名称が変更となりました。アメリカでは初代大統領・ワシントンの名が首都名、ワシントンDCとなっていますが、ベトナムの首都はホーチミン市ではなく… -
- 2021/09/14
- ベトナム観光旅行記
亀の伝説に彩られた街、ハノイ。伝説で巡るハノイ市内観光はいかが?
ベトナム人はその神話から自らを龍と仙女の子孫であると信じています。龍との因縁は深く、国土の形を龍になぞらえたり、首都ハノイの古い名称は昇龍(タンロン)であり、龍が昇る場所だとしたり、二千もの奇岩の島で有名な観光地であるハロン湾も漢字で表すと… -
- 2021/09/09
- 日系企業インタビュー
将来の夢は「国会議員」!頭をぶん殴られたような衝撃からベトナムで料理教室経営
小学校の卒業文集。すでに半世紀近く経った今、その卒業文集は私の手元にはない。記憶をたぐれば、私は当時ウルトラセブン、ガメラ、ゴジラなどの特撮映画が大好きだったので、将来は特撮怪獣映画を作りたい、と書いた。特撮怪獣映画ではないが… -
- 2021/09/06
- ベトナム観光旅行記
ベトナム最北端の省・ハザンは少数民族とソバやサクラの花が魅力
コロナ禍でおでかけもできない、海外旅行など夢のまた夢!そうぼやいているあなたに、ベトナム在住17年のツアー会社代表がウェブ誌上で「活字の旅」をお届けいたします。第1回目は「ハザン省の旅」。えっ、ハザン省?聞いたことがない?… -
- 2021/09/06
- ベトナム観光旅行記
タイ・プーケットに続け!フーコック島「サンドボックス」計画
ベトナム・ホーチミン市から飛行機で約1時間の距離にフーコック島はある。私は当地の取材コーディネートで、日本のビーチリゾート紹介番組のカメラマンをフーコック島サオビーチにご案内したところ「自分が訪れた80ヶ所以上のビーチリゾートの中でも… -
- 2021/09/02
- 日系企業インタビュー
事業立ち上げに「ワクワク」がとまらない、ダラットでマスクメロン生産
昨年、ダラット産のマスクメロンをご馳走いただいた。ブランドは「富士」。うやうやしく、富士山の描かれた化粧箱入りだった。果肉は美しいもえぎ色、甘味も十分、やわらかな触感も日本産と遜色ないものだった。高級くだものの代名詞ともいうべき日本の… -
- 2021/08/17
- 日系企業インタビュー
沖縄からベトナムにガラス工芸をもたらし、ベトナムに新たなガラス工芸の伝統を
第二次世界大戦末期、米軍の上陸作戦で壊滅的な被害を受けた沖縄。戦後復興の中でガラス職人たちが立ち上げたガラス工場に進駐兵のもたらしたコカコーラやセブンアップの屑ガラスを材料にして色と気泡の入った手作りのガラス器が生まれた。それが琉球ガラスだ。