人間万事塞翁が犬?犬に噛まれた不幸も幸いに導きハノイに起業、転職サイト「ベトスカウト」をリリース〜Thank Asia/田中智大

 ハノイの在留邦人の集まりには「犬の怖さを知る会」略称「犬会」という会がある。「犬を愛でる愛犬家の会」ならば集まる理由もわかろうというものだが、この「犬会」は違う。犬に噛まれた経験のある人たちがその経験を語り、犬の怖さに関する知見を広めようという会なのである。ハノイにある日本人のサークルの中ではそのユニークさで群を抜く。
 犬会の主宰者は田中智大。コロナ禍のハノイに飛び込み、到着数ヶ月にして食中毒2回、気管支炎、インフルエンザ、極めつけはハノイの公園で犬にいきなり噛まれるという、まるでコントのような不運の連続にも関わらず、ここハノイに起業してスカウト転職サイト「ベトスカウト」を立ち上げた人物である。
 こんなオモシロイ(失礼)経歴の起業家を本ビズマッチ日系企業インタビューで、取り上げないわけにはいかない。インタビューの申し入れをしたところ快諾を得た。なお、このインタビューもZOOMを利用したリモート取材であることをお断りしておく。

 田中は平成元年、1989年に大阪府交野(かたの)市生まれ。田中によれば、交野市の神宮寺という奈良県に接する山の麓にある田舎で、ブドウやミカン畑に囲まれて育ったそうだ。
 16世紀末、本能寺で織田信長が明智光秀の兵に襲われ、自刀して果てたとの知らせが堺に滞在中の家康に入った。信長の家臣だった家康は動揺し、一時は切腹まで考えたが思い止まり、人里離れた山あいを抜けて、堺から尾張まで密かに逃げ帰った。これを神君伊賀越えと呼ぶ。交野には家康と家臣らが竹藪に潜み、逃げ道を案内する村人を待ったという言い伝えがあり、わずかながらその竹藪も現存するそうだ。
 実はこの時堺に滞在する家康に信長自刀の知らせをもたらしたのは京都の呉服商・茶屋四郎次郎であり、また伊勢から三河国大浜まで船で家康一行を送り届けたのは伊勢商人・角屋七郎次郎であった。二人は天下をとった家康から朱印状を受けて安南交趾(現在のベトナム中部)との貿易に取り組んでいる点で共通している。
 いまでこそ、家康が天下をとると知っているから二人は彼を助けたと思ってしまうが、当時家康は敗軍の将のひとり。二人の商人にとって家康救出は一種の賭けだった。
 朱印船貿易は家康の苦境を救った二人の商人の論功行賞であったに違いない。まさに情けは人の為ならず、だ。
 余談が長くなった。
 田中は関西圏の国立大を目指したが現役合格ならず、一浪して北海道大学教育学部に入学した。みんなと同じは嫌だ、変わったことがしたい、そう思った田中は四季移ろう美しい北大のキャンパスの写真に魅せられて、実家からは遠く離れた北海道大学を進学先に選ぶ。
 当時、彼にとって身近な職業としてのロールモデルは教師だったこともあり、なんとなく自分も教師になるのかと、軽率な気持ちで教育学部を選択した。
 一人暮らしをするようになって、自分の将来について考える時間が増えた。
 「大学に入学し、4年間学んで卒業。その後は教師か、会社で働くか。公務員と民間では働き方も違う。これからの長い人生をなんとなくで決めたくない。本当は何がしたいんだろう?」
 少しでもヒントを見つけようと、学業以外の時間は塾講師、家庭教師、ホテルでの接客スタッフ、コールセンター、歩合制の訪問営業などなど、貪欲にアルバイトや業務委託の仕事を経験した。それでも将来何がしたいのかが分からない。一方、外国人留学生との交流は楽しく、彼らの文化・新鮮な価値観に触れることが刺激的で楽しさを感じていた。
 「外の世界をみてみたい」
 反対する親を説得し、田中は1年休学して台湾に留学した。 「普通留学といえば英語圏か、中国語を学ぶといえば大陸中国へ行くのが主流でしょうけど、自分は他人のやらないことをやりたがる性分だった」と田中はいう。そして台湾行きを選んだ。北の北大から南の台湾へと振り幅はかなり大きい。
 台湾では、自らが「将来なにをするか」と自問しながら、いろいろな人に出会った。なかでも日本人でありながら、台湾で起業した実業家がいた。彼は「世界は自らの手で動かすことができる」との信念をもって、アジアで活躍していた。ああ、こんな大人になりたい、そう田中は思った。
 就職先は大手の大企業より、ベンチャー、スタートアップでゼロから仕事を立ち上げることに興味があった。田中は在学中にシンガポールでインターンシップした先のI社というベンチャー企業に卒業後就職した。2014年のことだ。
 ここではメディア運営を活用した法人向けコンサルティング営業をつとめた。シンガポールに1ヶ月間のインターンも経験させてもらった。
 社内で表彰された経験もある田中だが、知り合いの起業家にさそわれて、当時若干4名のあるIT系スタートアップ企業に2017年秋、転職した。
 この会社ではSEOコンサルティングや業界最大手となる宴会場検索サイトや転職メディア等の運営を担当した。ホテル等の宴会場の情報を掲示し、そこへ宴会場を必要とする組織・団体・企業との成約をうながし、その契約が成立したら手数料をもらう、いわば成功報酬型のサービスサイトだ。
 少数精鋭で、ひとりひとりが自らの仕事を任されて、それぞれに働くスタイル。田中は将来自分で起業したいとの気持ちから仕事に精をだした。おかげで自分が担当していたサイトは2年連続で前年比約2倍の売上をあげ、成長もかちとった。
 だが、好事魔多し。2020年になると、日本にコロナが流行し、会食中に感染するので、宴会は自粛せよ、ソーシャルディスタンスをという大号令のもと、宴会場サイトの売上は激減した。
 事実婚であったが、妻と結婚もし、安定志向に心が傾いていた時期でもあった。日本の政府機関に勤めていた田中の妻のベトナム赴任が決定した。アジア好きな田中は「ベトナムなら頻繁に会いに行くよ」と妻の新しい門出を祝った。
 しかし、ベトナム・ハノイと東京、その距離は3600km。コロナのために航空便も制限され、搭乗しても隔離期間がある。容易に往来もできない。二人が会えなくなれば心が離れていく、そう感じた。
 「自分の夢は海外、アジアに住み、働くことだったのではないか」
 そう考えた田中は決断した。2022年3月、自分が働いた会社を辞め、ベトナムに赴任した妻をおいかけてハノイへ渡る。辞めるために半年間準備をし、勤めていた会社は送別会を開き、田中を快く送りだしてくれた。

 ハノイにやってきて、現地採用で人材紹介会社に就職。
 久しぶりに会うことができた田中と妻は、まずフーコック島に旅行をした。「わりと繊細な人間で、胃も弱い」という田中は、なんとそこで食中毒となり、地元の病院に入院した。病室にはエアコンもなく、蚊にさされ、天井のヤモリをながめながら闘病した。
 その後、ハノイでも再び食中毒となった。極めつけは公園を散歩中に犬に噛まれたことだ。
 日本では犬に噛まれてもまず狂犬病を疑う必要はないが、ベトナムではいまだ犬に噛まれて狂犬病で死ぬ人もある。当然、数回のワクチンを接種せざるを得なかった。
 その後も、結膜炎、気管支炎、インフルエンザ、デング熱など、ありとあらゆる感染症にみまわれた。ハノイにきてからというもの、これだけのダメージを受けたら、日本に帰ろうとは思わなかったか?との問いに、田中はこう答えた。
 「日本の会社を退職して、妻と一緒に住むためにハノイへ行くという自分を励ましてくれた家族や友人、知人、会社の先輩から送別会まで開いてもらって、ベトナムに来たのに病気ぐらいで帰ることができなかった。どんなことがあっても自分は成功し、結果を出してからでないと帰れない、そう思ったんです」なにわ節である。
 そんなとき、妻の妊娠が発覚した。将来についての不安もかかえることになった。
 田中は逆境に強いのか、そこで当事者としてベトナム在留邦人向け転職スカウトサイトの必要性を痛感した。
 従来、べトナムで日本人が転職を考える場合、人材紹介会社に相談するか、知人の紹介経由がほとんどだ。
 ベトナムには人材紹介会社は50社以上あり、各社HPで求人情報を見るのも、個別で相談するのも一苦労で、1社が持つ求人情報はどうしても限りがある。知人の紹介では更に企業が絞られるので、ミスマッチも生じやすい。
 そんなとき、求職者が自ら匿名で経歴書をサイトにアップロードしておけば、興味を持った企業や人材紹介会社から求人、スカウトがくる仕組みを作れば、キャリアを考える選択肢が拡がってよいではないかと考えたのだ。
 ベトナムにおける在留日本人は2万人程度。日本やその他海外にいてベトナムに就職を考えている人もいれれば約6万人が対象となると田中は見込む。またこうしたシステムをゼロから普通に開発すれば1千万円以上はかかる。最初から儲けを考えてはできないプロジェクトだ。
 田中は過去の経験から、スカウトされる求職者の気持ちも、採用する企業の気持ちも、人材紹介会社の気持ちもわかる。検索サイトやWEBメディアの運営経験もある。
 ここはまず「儲ける」というよりは、あってしかるべきサービスを提供するという「使命感」でサイトを立ち上げた。システム開発にあたっては条件定義を含め、可能な限り自らコミットすることで、開発費も抑えることができた。

 2023年、娘も産まれた。Thank Asia Co., Ltd.という名称で法人もベトナムに設立した。
 2024年2月から開始したサイト「ベトスカウト」も半年を経て順調にアクセス数、会員数も右肩上がりに増えているとのことだ。
 最近では日本の企業からの問合せも増え、日本法人も立ち上げた。
 日本人を対象としてスタートした「ベトスカウト」だが、今後は日本語が堪能な即戦力ベトナム人も会員として増やしていくそうだ。
 「日越における転職と採用の選択肢を拡げ、個人にはキャリアが築きやすい環境を、企業には必要な人材を採用しやすい環境を提供し、国際競争力を高めて欲しい」というのが「ベトスカウト」を展開した田中の願いだ。
 人間万事塞翁が馬という故事がある。馬が逃げたと悲しんでいたら、西方から馬を数頭連れて帰ってきたと喜び、馬に乗って息子が落馬してケガをして悲しんでいると、息子はケガを理由に徴兵を逃れ、生き残った。禍福はあざなえる縄のようだと故事は教える。
 ハノイに到着早々、食中毒や感染症に次々と冒され、犬に噛まれた田中はまさに塞翁が馬ならぬ、塞翁の犬、というところだ。
 コロナや妻の海外赴任の帯同、そして犬に噛まれるという逆境を逆手にとって、幸いを呼び寄せるたくましさ。田中の新しい事業のその後を見守り、応援したい。

文=新妻東一

Thank Asia代表 田中智大

Thank Asia Co., Ltd.
有限会社サンク・アジア

プロフィール

1989年大阪府交野市生まれ。北海道大学教育学部卒。国立台湾大学に1年間の交換留学。2014年ITベンチャー企業に就職、法人向けコンサルティング営業を勤める。2017年10月、ITスタートアップ企業に転職。宴会場検索サイトや転職メディアを運営。2022年、妻の赴任先のハノイに帯同、現地採用で人材紹介会社で働く。2023年Thank Asia Co., Ltdという名称の法人を立ち上げる。2024年、日越転職サイト「ベトスカウト」をリリース。日本法人も設立。

▼ベトスカウト HP
https://vietscout.jp/

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