蚊帳の中でランプをたき勉学に励んだ子どもが長じて防虫網戸メーカーに/クアンミン機械金属有限責任会社

 蚊帳の中で少年が勉強をしている。蚊や昆虫が灯油ランプのひかりに集まってくる。戦争は終わったばかりで、農業以外に主だった産業もないため、ベトナム北部タイビン省は電気もなく、極めて貧しかった。雨の多い季節には洪水となることもしばしばだった。水が出れば蚊や害虫が大量発生する。
 蚊はデング熱やマラリアを媒介する厄介な害虫だった。当時の子どもたちはランプのとぼしい灯りを頼りに蚊帳の中で無心に勉強をした。
 蚊帳の中は狭く、ランプの火が蚊帳に引火して、蚊帳のみならず、家が全焼することも珍しくなかった。
 少年の心の中で、蚊や害虫を気にせずに勉強に集中できたらどれだけ良いだろうと子ども心に思った。
 ベトナム北部タイビン省に生まれ育ったその少年が、長じてハノイに起業したのが、防虫網戸製造のクアンミン機械金属有限責任会社だ。
 少年時代に蚊帳の中でランプをたいて勉強したと懐かしそうに語る同社の会長チン・ゴック・チュンは、その子どもの頃の経験から防虫網戸の製造を思いついたのだという。
 今回のベトナム企業インタビューは同社会長のチュンに起業から現在に至るまでの同社の沿革、直面した困難や、その解決のための努力、現在達成された成果と日本のパートナーに望むことなどを伺った。
 なおいつもの通り、このインタビューはZOOMを使ったリモート取材であることをお断りしておく。

 チュンはタイビン省の高校を卒業後、ハノイにある林業大学に入学し、機械科で機械工学を学んだ。1998年のことだ。
 卒業後、2002年にはある建材会社に入社、アルミやプラスチックの建材の製造に携わった。
 仕事をしながら思い出したのは、ふるさとで蚊帳をつりランプで生活した子ども時代の自分の姿だった。蚊帳の中は狭いし、その中で灯油ランプをたけば火災の危険性もある。窓ひとつひとつの防虫網戸をつければ、蚊帳をつらずに生活することができる。そう思ったチュンは、2005年建材会社を辞めて、従業員はたった二人の小さな店をはじめ、窓枠に取り付けるタイプの木枠の防虫網戸を販売した。これが実によく売れた。
 ある時、友人が日本にはロールタイプの網戸があるんだと、その写真を見せてくれた。彼の話では、網戸がロール状に上下し、網戸を使わない時は上に巻き上げられて網戸を使わない時に片付ける必要もないという。
 これだ!とひらめいたチュンは、写真と友人の説明から、早速製品を試作してみたところ、成功した。
 このロール式網戸を量産化しようと2007年には工場を設けた。当時、従業員工員はたった6人だった。
 当時の売上はハノイでのみ販売されていただけなので、年間の売上もわずかなものだったが、創業20年近くを経て、現在、ベトナム63省市全てに代理店を有し、売上は年間200万米ドルを超えている。またラオス、カンボジアへも輸出している。ベトナム国内の外資系企業向け、日系や韓国系企業にも製品を納入しているとのことだ。日系企業としては文化シャッターの子会社であるブンカベトナム社にも自社の製品を納めている。

 コロナ禍の影響はいかがでしたかとチュンに尋ねると、彼は笑いながら「幸いなことに当社の製品はコロナ禍で売上が伸びた」というのだ。
 2020年までの売上は120万米ドルどまりだったのが、コロナになってから、年間売上が200万米ドルを超えるようになったそうだ。
 コロナによって在宅勤務が一般化し、親も子どもも自宅で過ごす時間が長くなった上、同じ在宅なら田舎に住む方がいいと都会から田舎へ戻った世帯も多かった。
 自宅に網戸を張り、蚊や害虫から家族を守ろうとして網戸を買い求める人たちが急増したのだそうだ。思わぬ特需だった。
 困った問題も生まれている。ひとつは市場に同社のニセモノが出回るようになったことだ。
 従来は代理店で直接商品を購入する客が多かったが、時代はネット販売が主流となり、ECサイトで商品を購入する消費者が増えたことで、ニセモノ商品、ニセブランド商品が横行するようになってしまった。
 商品の研究開発には時間もお金もかかる。しかし同社のニセモノをつくる相手は、そうした研究開発のコストがかからないから商品を安く売れる。
 相手を法的に訴えても解決までに時間もお金もかかる。ニセモノ、ニセブランド商品とのイタチごっこなのだそうだ。
 また、ベトナムの多くの起業は脱税することが常態となっていて、同社のようにきちんと納税して公明正大に事業をやっている方がコストが高く、競争に負けてしまうというジレンマもあるという。いわば正直ものがバカをみてしまう。これも頭の痛い問題だとチュンは指摘する。

 ではそうした困難に対してクアンミン社はどう対処しているのだろうか?
 ニセモノ対策では、常に商品の研究開発、不断の「カイゼン」でニセモノ、ニセブランドと差別化し、より優れた商品を市場に送り込むことだとチュンはいう。「これは日本企業から学んだことだよ」とチュンは笑う。
 顧客サービスでは特に長年のお付き合いいただいたお客様を大切にすることだ。それは同社の商品を気に入ってくれたお客様が他社にクアンミン社の商品を紹介してくれるからだという。
 コスト削減、ムダの排除、マネジメントの再構築も常に必要だともチュンはいう。
 相手を変えることは容易ではないが、自らを変革することは難しくない。そうした信念に支えられてのチュンの経営に対する姿勢が感じられた。
 
 これまでに達成された成果はと問えば、「ベトナム全土63省に230万人の顧客、年間の売上は200万米ドル」という数字をあげた。それでもこの数字でチュンが満足しているようには見えない。さらにその先を目指しているように伺えた。

 日本の企業とのどのようなパートナーシップを希望するのかとの問いにチュンは製造技術、資材調達、製造協力の3つをあげた。
 蚊、害虫の防除網戸の製造技術を日本から学ぶことを希望している。
 もう一つは網戸製造に必要な網や紐といった資材、部材で良いものの紹介を受けて調達したいという。
 製造協力については、日本の少子高齢化によって労働力不足に陥っている日本の企業と協力して、日本ブランドでのOEM生産を引き受けたいとの意向もあるそうだ。

 チュンは韓国は訪れたことはあるが、日本にはまだ訪れる機会がないがと断りつつ、「日本から学ぶべきことが多い。特に明治期に暦を欧米に合わせていち早く太陰暦から太陽暦に変更した日本は変革を恐れない国であり民族だと感じる」というのだ。
 特に「カイゼン」は日本の大手製造会社の主催するセミナーに参加して学んだことであり、自社の経営にも活かしていると語るチュン。
 
 かつてタイビン省で蚊帳をつり、ランプを灯し、勉強をした少年は、長じて会社を起こし、防虫網戸を生産して、ベトナムの市場で生活の質の向上、雇用を創出し、ベトナム経済にも貢献している。著者も一方で会社の経営者のひとりとしてクアンミン社会長チュンの姿勢を見習いたいと思った。

文=新妻東一

クアンミン機械金属有限責任会社
QUANG MINH MECHANICAL METAL COMPANY LIMITED

プロフィール

2005年ハノイに防虫網戸販売店で創業。2007年にはロールアップ網戸の製造販売を開始。創業者は現会長のチン・ゴック・チュン。現在年間売上200万米ドル。ベトナム全土63省に代理店、ラオス、カンボジアに輸出、日系、韓国系などFDI企業にも同社製品を納入。日本との製造協力を希望。

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