父のはじめた事業を息子が継承、大手相手にぬいぐるみ製造で気を吐く/タインダットぬいぐるみ製造商事有限会社

 私の長女がまだ幼児のころ、上野動物園でゾウのぬいぐるみを買ってあげた。ぬいぐるみはいくつも部屋にあったが、長女はそのゾウのぬいぐるみだけは片時も手から離さず、寝る時はいつも抱いてねむっていた。ピー子と名前も付けた。
 お出かけするときも必ずゾウのピー子がお供する。あるとき、彼女のおばあちゃんと外出したときに、そのゾウのぬいぐるみを失くしてしまった。長女の落胆ぶりはまるで自分のかわいがっていたペットがいなくなってしまったときのようだった。
 祖母、つまり私の母は上野動物園までいって、同じゾウのぬいぐるみを買ってきてくれた。以来、長女は新しいピー子をいつも肌身離さずもっていた。どこへ行くにも持ち歩いていたから、あちこちに穴があいたり、ゾウの鼻ももげてしまうこともあった。祖母がそのたびに針と糸でゾウのピー子を直した。ゾウのピー子はしまいにはズタボロ雑巾のようになってしまったが、それでも長女は学校にあがっても、大切にしていた。
 大学生になった長女に「ゾウのピー子はどうしてるんだ?」と尋ねると、「ああ、まだ持っているよ」とのことだった。
 彼女はもう成人して就職し、今年は32歳になる。あのぬいぐるみ、ゾウのピー子は健在なのだろうか。

 今回インタビューに応えてくれたのは、ホーチミン市に本社のあるタインダット社というぬいぐるみメーカーの社長、ブー・タイン・ダット氏だ。創業から20年以上という歴史をもつ企業なのに、ZOOMを利用しての取材で、パソコンの画面に映し出されたのは、まだはつらつとした若い青年だったからびっくりした。
 「実はぬいぐるみ生産は、1995年に私の父がはじめた事業なんです」という。そう、彼は二代目の社長なのだ。社名はタインダット、そして彼の名前もタイン・ダット。
 「私の父は、当時ホーチミン市では、まだ誰も手をつけていない分野であり、競争相手も少ないと知人に教えてもらい、ぬいぐるみ生産をはじめました。私がまだ1歳のころです」 そして、社名も息子の名前からとり、タインダット社と名付けた。彼と一緒に生まれ育った会社だったのだ。
 ためしにベトナムの電話帳「イエローページ」で「ぬいぐるみメーカー」と検索するとベトナム全土で90社がヒットする。今から30年近く前なら、まだぬいぐるみメーカーなど、ホーチミン市では存在しなかったのだろう。1995年といえば、ベトナムが米国との国交正常化をはかり、東南アジア連合(ASEAN)に加盟した年だ。ドイモイ政策によって民間企業が生まれ、外資も少しづつベトナムへの投資に関心を持ちはじめた時代だ。
 同年ベトナムにコカコーラが進出し、1997年にはケンタッキーフライドチキン(KFC)が進出した。幸いなことにタインダット社はKFCベトナム社からの注文を受けることもできた。
 2011年にはドイツへの輸出にも成功した。2014年には米国キンバリークラーク社のおむつ、Huggiesブランドのギフトとなるぬいぐるみの入札に参加し、落札。タインダット社が発展する大きな節目となった。
 「当時は、ホーチミン市内にある300平米ほどの敷地に2、30名がはたらく小さな工場でした」そう、タインダット氏は語る。

 2014年には、タインダット氏と姉フンミー氏が、同社の経営に参画する。受注も順調に増えて、工場もホーチミン市内の1500平米の土地に新工場も設立した。2018年のことだった。
 2020年にはベトナム全土がコロナ禍にまきこまれ、2021年にはホーチミン市でロックダウンも経験した。3〜4ヶ月にわたって生産停止においこまれ、タインダット社は危機的状況に陥った時期もあったという。
 幸いなことに2022年、ベトナムでおこわなわれた東南アジア大会(SEA Games)でもマスコット生産の入札で落札することができ、これをきっかけに会社の経営が元にもどりはじめるきっかけとなった。
 2023年には日本向けのぬいぐるみの輸出制約も果たし、これが大成功をおさめた。米国への輸出にもチャレンジした。
 2024年4月には、ロンアン省に2500平米もの工場を建設、従業員・工員100名、ひと月の生産能力は6万から10万個の生産が可能になった。
 2021年には、長年社長をつとめていた父ブー・バン・タンは引退し、現在は社長はタインダット氏、副社長はブー・フン・ミー氏が勤めている。
 同社の顧客は、キンバリークラーク(Huggies)、ケンタッキーフライドチキン(KFC)、セブンイレブンなどの多国籍企業や、FPTやCon Cungといったベトナムの大手企業である。この顧客の顔ぶれをみても、大量の発注も対応可能だということがわかる。
 現在は、売上の90%は国内向けのぬいぐるみ生産だが、10%がカンボジア、タイなどへの輸出だ。今後は海外への輸出に注力したいという。特に日本への輸出には期待が大きい。
 日本のぬいぐるみ製造企業の海外工場として、あるいは、日本の企業のギフト、アメニティの発注先として考えてもよいのではないだろうか。
 同社は、自社デザインの商品を開発、販売するのではなく、あくまでも発注者のもつ版権、著作権のあるデザインに基づく、OEM生産を専業としている点も発注者からは好ましいと思えるだろう。逆にいえば、版権・著作権の所有が認められない発注者からはオーダーを受け付けない。多国籍企業、大手企業との取引をする上での心得もある。

 タイン・ダットに自身の夢を問うと、「会社を大きく発展させ、安定的な生産ができることだ」と応えた。「あとは、健康であること」彼は年齢に似合わず、しかし、経営者として大切な要素を自らの夢としているようだ。
 タイン・ダットの妻も同じ会社で働いているという。女の子の赤ん坊がいて、18ヶ月、1歳半になったばかりだという。
 そろそろぬいぐるみをいつくしむ年頃になる。父のつくるぬいぐるみで遊ぶ日も近いだろう。彼女がさらに長じてから、三代目としてタインダット社の社長となる日もあるかもしれない。それまで、タインダットの奮闘に期待しよう。

文=新妻東一

タインダットぬいぐるみ製造商事有限会社
THANH DAT PLUSHED TOY CO., LTD 

プロフィール
 
1995年、ブー・バン・タンによりタインダット社を創業、家内工業的にぬいぐるみ生産を開始。1997年にベトナムに進出したケンタッキー・フライド・チキンからも注文を受けるようになる。2011年にはドイツ輸出、2014年にはおむつのHuggiesのギフトのぬいぐるみ生産を受注。2018年にはホーチミン市に1500平米の工場を設立するも、コロナ禍で危機に陥るも、2022年の東南アジア競技大会のマスコット生産で盛り返す。2024年にはロンアン省に2500平米の工場を設立。現在は、息子のブー・タイン・ダット社長が同社を率いる。

>> この企業のプロフィール情報を見る

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメントは利用できません。

おすすめ記事

カテゴリー一覧

ビジネスに役立つベトナム情報サイト
ビズマッチ

ページ上部へ戻る