老舗ベトナムお土産店を再建、農園と陶器記念館を夢見る日越カップル/スーベニアショップ「KiTO」今出みお
- 2022/01/21
ドンコイ通りといえばホーチミン市の目抜き通り。東京でいえば銀座、大阪でいえば心斎橋、高級ブティックやお土産屋さんが立ち並んでいる、いや、立ち並んでいたと過去形でいうべきかもしれない。かつては路地まで含めて100軒はあったドンコイ通りのお土産屋さんはこのコロナ禍で閉店の憂き目にあい、いまや数軒が残っているのみだ。多くは閉店するか、業態を転換して外国人相手ではなく、ベトナム国内の富裕層向けの店にかわっている。
「商売で考えたら一昨年の4月に閉店するのが正解でしたね。半年もすれば、一年もすればコロナが明けて外国人観光客もやってくると期待してたんですけど、あっという間に2年近く経っていまや閉店するタイミングも失って、今もドンコイ通りでお土産店を続けてます」そう言いながらZOOM画面の向こうで笑顔をみせてくれたのが今出みおだ。
今出は和歌山県生まれ。小学校の高学年の時、テレビ番組「世界ふしぎ発見」で紹介されたベトナム。レポーターがベトナムの民族衣装アオザイを注文し、身にまとっている姿が映し出された。子供ながらに「こんな美しい民族衣装があるのか。自分もぜひ着てみたい!」と思ったという。今出の「アオザイ」への思いがベトナムへと向かわせた。20歳になってベトナムへも旅した。
東洋のプチパリと呼ばれたこともあるフランス植民地時代の建物が立ち並ぶホーチミンシティ。若い時にフランスで過ごしたこともある今出の母は朝食はカフェオレにクロワッサン、インテリアもフランス風を気取るような人だった。そのフランスと東洋的な雰囲気がミックスされたベトナムの街に今出は魅せられてしまった。
大阪の短期大学に進学し、卒業後は関西のデパートに就職した。担当は紳士服。バイヤーや店頭での接客や販売も経験した。「3年間だけでしたけど、売れるときに売れる商材をいかに揃えるか、ターゲットは中間層なのか、富裕層なのか、利益は誰から得るのか、と考え、仕入れし、商売することを学びました」
その時の経験が今出のみやげもの店の経営に生かされているのかもしれない。
今出はデパートで3年勤めた後、26歳の歳からベトナム風カフェバーを経営した。カフェバーを経営しながらもベトナムへの思いは捨てなかった。子供ができてからは育児と仕事を両立するため、夜業のカフェバーを閉め、ベトナム雑貨屋を開業しベトナムに通って雑貨を仕入れ、デパートの催事でも販売した。
シングルマザーだった今出は海外出張の際にも抱っこ紐で赤ん坊を胸に抱いてベトナムの各仕入れ先を訪れた。当時日本ではベトナムの「プラカゴ」が大流行りだった。その仕入れ先の一つがスーベニアショップの「KiTO」だった。
「KiTO」のオーナー、デュン・ヴァン・キトに「プラカゴ」を見せてもらった。技術的には難しい布の内張りがしてある商品だった。3ヶ月後、プラカゴを発注するためにふたたび店を訪れた今出に「赤ん坊を抱いて仕入れにきたバイヤーさんですね、覚えてますよ」と言われ、二人の交際が始まった。ほどなくしてキトからプロポーズを受けた。
「すぐに結婚を承諾したわけではなく、1ヶ月間結婚お試し期間を設けてね、子連れでホーチミン市にやってきたの」それが2016年12月のことだった。
「一番心配したのが、キトが私の娘の良いお父さんになってくれるかな?ということ。でもキトは無事合格して結婚したんです」と今出。
キト、長女そして今出の三人でローカルレストランに行った時のこと。長女がトイレに行きたい!と言い出した。そこでキトはすかさず「僕が一緒にいってあげるよ」といって長女と連れ立ってトイレに向かった。ほどなくして二人が大笑いしながら戻ってくるではないか。「どうしたのか」と今出がたずねるとキトは「トイレに紙もない、自分は紙もハンカチも持っていない、そこで長女のお尻を素手で拭いて、水で手を洗って出てきた」というのだった。
実の母親だって、子どものお尻を素手で拭くなんてことはそうそうできるものではない、それをキトという男は平気でやっている。キトはいい父親になれる、そう確信して今出は結婚を了承した。
「日本という国は働きながら子育てをする女性には冷たいんですよ。保育園に子どもを預けておいても、熱が37℃を越えたと言われたら迎えにいかなければならない、近所に子育てを助けてくれる人もいない。夜8時ごろに幼い子どもを連れて電車に乗ると『なんでこんな夜遅く子どもを抱えて電車に乗るの?』といった非難の目で見られるし」
ベトナムでは知り合いに子どもを預けて出かけたり、レストランや食堂に行っても食事の間に店の人たちが競うように子どもの面倒を見てくれる。日本で働きつつ子育てをすることに疲れていた今出はベトナムでの子育てで楽になった。
「キトと結婚して初めて知ったのは店は赤字続き、借金も抱え、自分の住む家もなかったほどで、ドンコイ通りの店の2階に暮らして水でシャワーしていたこともあるのよ」と今出は語る。
2000年創業当時、ホーチミン市のどの旅行ガイドブックにもKiTOはお土産店として筆頭に掲げられていたはずなのに、現在は掲載されていても最後の方か、掲載されていないガイドブックすらあることに気がついた。このままではガイドブックから消えてしまうだろうと彼女は危機感を抱いた。
店の再建のため、今出は併設されていたマッサージ店を閉鎖し、人員も整理、経費を削減する一方、本業である雑貨、それもベトナムの伝統的な技術を大切にした手工芸品を中心に品揃えし、オリジナル商品の開発にも取り組んだ。
おかげで借金は1年で全額返済し、2019年には利益も出して、キトの夢であるソンべ焼き陶器の記念館を建設するための貯金をはじめることができた。
しかし好事魔多し、2020年に入るとコロナ禍で、海外からの観光客が途絶えた。スーベニアショップはピンチに陥るが、貯金を家賃にあて店を維持すると同時に、みやげもの中心から現地の富裕層や在留日本人向けのテーラーメイドの衣類の比重を高めて、コロナ禍でも売れる商品を展開している。
「パソコンやスマホなどデジタルは苦手なんですけど、インスタに商品を掲載しないと売れないので、その苦手な手段を駆使して営業に努めている」と苦笑いする今出。「それでもお客様はコロナで困ってやるやろ、と無理してでも商品を買ってくれる方もおられてありがたいです」
コロナ禍前にはベトナム南部の田舎の良さを知ってもらおうとホーチミン市郊外に土地を購入して、農園をはじめ、野菜やニワトリも育てている。コロナ明けにはベトナム内外の観光客を受け入れて、ベトナム田舎暮らしを体験してもらおうとも考え、今から準備も怠ってはいない。
育児に行き詰まっていた今出を夫のキトが支え、経営に行き詰まっていたキトを妻の今出が助けて盛り返す。日越カップルの二人三脚でKiTOはコロナを乗り越えて、成長し続けるのだろう。
文=新妻東一
スーベニアショップ KiTO
今出みお(いまでみお)
プロフィール
1976年和歌山県新宮市生まれ。短大卒業後1997年阪急百貨店に入社。梅田本店紳士服に配属勤務。退社後、広告のデザイン事務所に勤務を経て2002年京都にてベトナム風カフェバー「シクロカフェ」を開店。2012年長女出産を機にお店をカフェバーからベトナム雑貨屋に変更。デパート催事を中心に販売。2017年ホーチミンのベトナム雑貨店「KiTO」のオーナーとの結婚を機に自分の家業は閉めて渡越、「KiTO」の経営に参加。テーラーと雑貨のデザイン、経営、販売等全てを執り行い現在に至る。
▶︎2022年4月5日に移転再オープンしました 【移転先新店舗住所】 13 Ton That Thiep, Ben Nghe, Dist.1, Ho Chi Minh (高島屋やアクルヒスーパーの近くです) 営業時間(当面の間) : 10:00~20:00 休業日 : 不定休
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