人生のビッグプロジェクト「子育て」のためにベトナムでの仕事と生活を両立/ハノイ商店・森紀子

ハノイの在ベトナム日本国大使館近くのリンラン通り、ダオタン通りには多くの邦人向け日本料理店、カラオケ、マッサージ店が集積している。ハノイの日本人街だという人もいる。そのダオタン通りから路地を少し入ったところに昨年11月末に「ハノイ商店」が移転しリニューアルオープンした。

ハノイ商店はカレールーなどの日本食材やベトナムの優れておいしい食品を販売するお店だ。1階は食材店、2階はお土産とカフェ/イートインが併設されていて、お買い物ついでに店主こだわりのコーヒーやチェーなどを楽しむことができる。日本人駐在員やその家族に親しまれているお店だ。

 今回インタビューに応えてくれたのは「ハノイ商店」の店主、森紀子である。

 森は1970年千葉県松戸市に生まれた。彼女の父親は水と空気以外であれば何にでも印刷できるというスクリーン印刷工場を経営していた。スクリーン印刷とは布、皮、ガラス、プラスチックなど紙以外の対象にも印刷できる技術だ。製版されたスクリーンを貼り付けた型枠を対象に押し当て、インクをスクイージーと呼ばれるヘラでのばし、インクを対象の上に盛り付けることで印刷する。製版、型枠のセットやスクイージーの操作などは熟練した職人でなければできない。革・布地へのプリントには欠かせない技術であり、イッセイミヤケなどファッション業界向けの仕事も引き受ける技術も持っていた。

 「吹奏楽では小学4年からクラリネットを吹いていて音楽が大好きでした。私の中学時代はラジオ全盛時代、FEN(米軍極東放送)でオールディーズとか洋楽を聴いてました。そこからアメリカに憧れて、英語を勉強していつかアメリカに留学しようと決めたんです」

 アメリカに住む親戚や留学経験のある友人がいたこともあり、森は自ら望んで高校の途中から渡米、大学も米国で過ごした。大学はニューヨーク州ワグナー大学音楽科(クラリネット専攻)に進んだ。「マンハッタンが近く、音楽を勉強するには最高の環境でした。」

 大学3年の時に、日本のFMラジオ局J-WAVEの大学生対象のセミナーに応募し、参加したことをきっかけに、卒業後は同局の「ナビゲーター育成生」としてラジオ業界に飛び込む。

 「ラジオ番組の制作アシスタントとして、録音、原稿作成からスポンサーへの営業まで、なんでもやりました」

当時のFM局は、米国の音楽ジャンル別ラジオ局のように音楽だけを流し続けるラジオ局として発足したように思えたが、多くの人材はAM局から流れてきたため、番組は音楽以外の要素の多い情報番組化してしまう傾向にあった。4年間ナビゲーターとしての修行期間を送るが、自分自信の存在意義をなかなか見出すことができずにいた。

 「そんな時に父から印刷事業を手伝わないか?との誘いがあったのです」

 森の父親の会社は紫外線硬化型インクによる「厚盛印刷」という新しい実用新案の技術を開発した。印刷表面に透明な厚さ0.3mmの凹凸ができる印刷だった。大量生産にも向いている技術だったので、視覚障害者向けの点字印刷への応用が期待された。その技術の海外営業を任せるという。おもしろそうだ、やってみよう、そう思った森は視覚障害者向けに出版・印刷物制作を請け負う子会社を設立した。森はまだ若干26歳だった。

ロサンジェルスで開催される視覚障害者向け商品のコンベンションにも森は単身乗り込んだ。ヨーロッパやアメリカの視覚障害者の団体などとの関係を作り、世界初視覚障害者向け美術書の出版にまで漕ぎ着けることができた。

 「スティービー・ワンダーも見かけました。20m先ぐらいまできて、私のブースには来てもらえなかったけど」と笑う森。

 女性起業家としてアエラからの取材を受けた。視覚障害者も雇用し、スタッフは3人の小さな事業であったが、ニッチな市場であっても視覚障害者向けのコンテンツビジネスで社会貢献ができているという充実感があった。そしてオンリーワンである事業に携わる楽しさを知った。

 この仕事は14年間続けた。しかし転機が訪れる。それは育児だった。

 当時住んでいたのは文京区。「意識高い系」のお母様たちが息子や娘の「お受験」で血眼になっている土地柄でもある。

 世界は大きく多様性に満ちている。自身が体感して来た別の道、生き方を息子たちには示したい。そして子どもたちには若いうちに「マイノリティ」として生きる経験をし、その術を学ぶ生活をしてほしいとも考えた。

 「その上で海外で仕事をしてみたい!という思いもあったんですよ。少し、欲張りなのかな」と森は苦笑する。そして本格的に移住先を探すことになる。

 森のパートナーは大学教員でキャリア教育を専門とし、中国やベトナムをはじめ世界各国の大学を訪れて講義を持つこともあった。彼女も時に海外に同行することもあった。中国や東南アジア各国を巡り歩き、子育てと仕事が両立できる滞在国、移住先を彼女は2年かけて探した。日本からも至近で治安がよく、親日的で、仕事と子育てができる場所、そうして絞り込んでいった先にベトナムがあったのだ。

 幸いベトナムでの仕事のオファーもあったので、それに飛びついて中二と小四の息子二人を連れてベトナム、ハノイにやってきた。2015年のことだ。異国でのシングルマザー生活が始まったのである。

 長男は小学6年生の頃に2週間ほどアメリカでホームステイさせたこともあり、ベトナムのにもすぐに溶け込み、2年目には自らの希望でインターナショナルスクールへ転校、次男は日本人学校に進んだ。次男は生まれ育った地元、文京区で少年野球に打ち込んでいたので、最初の1年間は環境の変化に腐っていた。しかしハノイの野球チームにも加わり、ASEAN大会など国際大会にもベトナム代表として遠征に出かけるようになり、言葉は通じないが、自分の野球技術がチームに役立っていることに意を強くし、国際交流という今までにない目的も持ちながら野球に向き合うようになった。

 森は現在までに4社のベトナム企業で働いてきた。サービスアパートメントの運営会社に勤めていた時のこと、お客様の利便のために日本の食材店を会社が運営するアパートで開設してはどうかと当時の社長から持ちかけられた。

 「自分に小売業の経験もないし、日本人相手に仕事をするにはいい加減な仕事はできないしで、最初は店を持つことを断ったんですよ」

 当時同僚だったベトナム人(現、店舗のビジネスパートナー)からも「経営のサポートもする」のでぜひにと勧められ「ハノイ商店」を2018年にオープンした。27平米ほどの小さなお店だった。最初はお客さまが飲み物やタバコを買うのに便利なお店があればと思ってはじめたが、徐々に自分があったらいいなと思うものや、ママ友たちの要望に応えるうちに品揃えが増えていった。日本の食材のみならず、ベトナム国内産の良質な商品、例えば無農薬野菜、クラフトビールやハロン湾名物のチャームック(イカのツミレ)など、森がお勧めするベトナムのこだわり商品も販売するようになった。

 2019年には旭日電気工業株式会社のベトナム現地法人の設立、運営を任され、高度人材紹介業、CADオフショア事業、投資事業など、新しい事業へも挑戦している。

 「異国での子育てと仕事、問題が起こると心細くて夜中に泣いていたこともあった」という森。海外でのシングルマザー生活は決して平坦ではなかったようだ。

 「長男はハノイにて高校卒業後、オランダのトップ大学に合格して留学したのですが、ヨーロッパの競走馬の売買の仕事に興味を持ち大学を中退し、今は日本をはじめとするアジア圏に欧州競馬の魅力を伝えるべく馬主を斡旋する仕事をアイルランドを拠点に始めたんです、まだ二十歳なんですけど」と楽しそうに笑う森。まさにこの母にしてこの子ありだ。

 海外で生きる術を得た長男。次男も日本に戻って東京のインターナショナルスクールに通いながら海外へ出るチャンスをうかがっている。

 「人間を育てるのって、人生においてのビッグプロジェクトでしょう?これからの時代、どんな人間が求められ、どのように育てるか…、親としての枠を超えて考えた結果、そしてそのミッションを実行するための場がハノイでした。彼らが成功するかどうかは分かりませんが、社会人として立派な大人になって、ハノイで暮らした経験が役立つと信じています。そして、社会のお役に立てるようになればなおのことうれしいですよね」と森。

 つい仕事に家事や子育てを従属させてしまいがちな昭和の男たちよ。森のように子育てを人生最大のプロジェクトとして捉える女性経営者に学ばなければならないと私自身の自戒も込めてインタビューを終えたのだった。

文=新妻東一

ハノイ商店常連のかわいいお客様と

ハノイ商店
森紀子(もりのりこ)
プロフィール
1970年千葉県松戸市生まれ。高校よりアメリカへ留学、ニューヨーク州ワグナー大学音楽科卒。卒業後、J-WAVEナビゲーター育成生としてラジオ制作会社勤務。26歳の時に父親が経営する会社の子会社として視覚障害者向け出版・印刷物制作会社を設立、経営。紫外線硬化型インクによる国内外の視覚障害者団体向けの印刷物の企画に携わる。2015年二人の息子と共にベトナム・ハノイに移住、子育てとベトナムでの事業を両立させる。2018年にハノイ商店を個人事業としてスタート、2019年旭日電気工業株式会社現地法人を設立、高度人材紹介業、CADオフショア事業、投資事業を担当。

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