外資系企業3社での学びを基礎に金属加工企業を設立/H2B工業設備供給株式会社・グエン・バン・バック

 これまでも当ベトナム企業インタビューでは、金属加工企業を何社かご紹介してきた。取材にあたっては、取材先の会社のプロフィールやウェブサイトを事前に読み込むことにしているが、今回ご紹介するH2B工業設備供給株式会社の紹介項目に「レーザー切断機を有し、特に板金加工を得意としている」とあった。これはこれまでに取材してきた金属加工企業の設備としては珍しい。ベトナムの場合、金属加工といった場合、切削加工が中心だからだ。
 私は世代的にいって、ウルトラマンやスターウォーズといったテレビや映画に感化されているせいか、レーザーとか光線ときくとなぜかワクワクしてしまう。ウルトラマンが手を組んでスペシウム光線を怪獣に向かって発射すると、怪獣は光線をくらって炎上爆発し、地球にふたたび平和が訪れる。ハン・ソロは帝国軍のストームトルーパーが放つレーザー・ブラスターの光線を次々とよけては敵に立ち向かう。
 光線によって対象物に物理的ななんらかの影響をもたらすといったアイディアはまずサイエンス・フィクションの世界で現れた。1960年には米国ではじめてのレーザー発生装置が開発され、いまや医療、情報、家電、工業、軍事など、様々な分野で応用され、私たちの生活にも欠かせないものとなった。
 工業の分野では、レーダー切断機が開発され、25mm厚もの金属板を切断することを可能とするまでに至っている。

 H2B工業設備供給株式会社は、2010年、グエン・バン・バックによって金属加工の会社としてフンイエン省にある第2タンロン工業団地に設立された。インタビューをはじめようとすると、まずバックは自身の生い立ちから紹介しましょうと話をはじめた。
 バックは1981年生まれ。2004年にはベトナムでも理系大学としてはトップクラスのハノイ工科大学の機械工学科を卒業した。
 20年前、バックによれば、ようやくベトナムが本格的に工業化を迎えた時期で、自分にとっては「ラッキーだった」という。最初に勤めたのが日系の衛生陶器メーカーのベトナム工場だった。当時は機械技師として入社した。
 勤めた会社ではちょうどフンイエン省に第二工場を建設するところだった。バックは日本人のプロジェクト・マネージャーのもと、電気技師らとともに働き、工場上屋をたてて、機械設備を設置し、生産ラインを組み立てた。
 「日本人マネージャーからは多くを学びました。特にマネージャーが事務所に踏ん反り返っているのではなく、現場に入って労働者と一緒になって働く姿に感銘しました」とバックはいう。
 あらゆるものごとに精通している上に、労働者と手を汚すことをいとわない。問題があれば現場で解決する。ベトナムの大学では理論を学ぶことが中心だったが、日系会社に入社して実地に学んだことが非常に大きかったそうだ。ここでもバックはまた、「自分はラッキーだった」という。そしてプロジェクト・マネージャーから「きみは僕の優秀な学生だ」そう言われたことを今も誇りに思っている。
 そのプロジェクト・マネージャーが日本に帰国したころ、あるシンガポールの企業で、LGやキヤノンへ部品を納めている日系100%子会社からヘッドハンティングを受ける。その企業がベトナムに工場を立ち上げるというので、彼が前職で工場立ち上げを経験したことが買われたらしい。同社に転職し、工場の立ち上げ、生産ラインでの製造、そしてマネジメントも学ぶことができたという。
 転職した先もシンガポール法人とはいえ、日本の100%子会社であったこともあり、企業文化としてはほぼ日系企業だった。そこで、彼は自らのキャリアアップのために、再び人材紹介会社を通じて、3度目の転職をした。就職した先は欧州のメーカーで、10haの土地に工場を建設する仕事で、そこのプロジェクトのリーダーの一人としての採用だった。
 同企業では、6ヶ月にわたる欧州本社での研修も受けることができた。英語を用いての研修だったため、英語の能力のブラッシュアップにも役立った。
 欧州企業は、オープンな企業文化をもち、自己の裁量で仕事ができる点も新鮮だったという。とにかく結果を出すことが重視され、作業の過程ではなにも言われることがない。日系企業との文化の違いを感じたという。

 そして2010年。バックは、これまで勤めた三つの会社で学んできたことを基礎に、独立起業の道を選ぶ。最初はフンイエン省にある第二タンロン工業団地に工場を設立した。大学卒業後、最初に勤めた会社が工場を立ち上げた工業団地だった。
 2年後にはティエンソン工業団地に3,300平米の土地を借りて、主に切削加工など、工作機械による部品を工業団地内の日本、韓国、欧州の外国投資企業向けに提供を開始した。  
 2016年には板金加工に特化したラインを設け、板金製品の製造販売もはじめた。特にアマダ社のレーザー切断機2台を導入し、25mm厚もの鉄板を切断でき、かつ、精密な加工にも対応し、自社での板金加工のほか、板金へのレーザー加工の外注も引き受けている。
 従来は工業団地内の企業に製品を提供することが多かった。取引先に自社の部品を提供し、その部品によって形作られた製品が海外に輸出されている。ベトナム製品の輸出拡大に寄与しているとの自負はある。今後は海外の顧客に直接自社製品を納める仕事も拡大したいという希望を持っているとバックは語る。
 
 H2Bというの社名の由来を尋ねると、バックは少し恥ずかしそうに「実は自分の家族の名前に由来するんです」という。妻の名前がHạnh(ハイン)で一人の子供の名前がHiền(ヒエン)で二人の頭文字がH、自分の名前がBắc(バック)で、もう一人の子供の名前がBang(バン)と頭文字がB。そこでH2Bと家族4人の名前を込めたのだそうだ。
 なぜ家族か。それは日本の企業の強さは、会社がその社員を家族と思って接すること、日本の家族主義にあると学んだからだ、という。上司であっても現場に足を運び、工員、家族のメンバーと一緒になって働く。企業は大きな家族のようなもの、その思いがあって、社名にはまず自分の家族の名前から命名したそうだ。
 もちろん取引を通じて、ドイツのやり方、あるいは米国のやり方も含め、多くの国々、多くの人たちから学んだことを会社の経営に生かしたいともいう。それぞれの良さがまたあるからだ。
 日系企業にも勤め、日本ブランドの機械を多く導入しているバックだが、まだ一度も日本を訪れたことがないという。
 「機械を導入する際に工場見学を進められたのですが、これまでの経験から日本の企業には全幅の信頼を置いているので、その必要はないって回答したんです」と笑うバック。「日本の企業人に教わった『節約』にもなりますし」とも付け加えた。

 このインタビューでバックはなんども「自分はラッキー、幸運であった」という言葉を繰り返した。とにかく自らの歩んできた道を自分は幸運の連続だった、そう思える人生を送り、企業人として成長してきたと思えるのはすばらしいことだ。バックにはその幸運を呼び寄せる「才能」があるに違いない。彼の幸運がさらに、より大きな達成へと導いてくれるであろうことを願おう。

文=新妻東一

H2B工業設備供給株式会社
H2B Industrial Equipments Supplier JSC

プロフィール

2010年、ハノイで創業。創業者はグエン・バン・バック。2004年、百科大学機械工学科卒。日系企業を含む外国投資企業3社で学んだことを基礎に金属加工企業を設立。主に板金加工、精密部品加工を得意とする。主に日・韓・欧米企業に部品、製品を提供。日系企業の顧客を増やすことを希望している。

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